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近現代史教育施設続報

◆新聞記事になる。さてと・・・。すこし分析しないとコメントできません。、d8836451.JPG

草津宿

◆17時となり施設は閉まったが、日はまだ高く、草津宿に寄る。はじめてだが、なかなかいいところだった。いま、栗東で国道19f3c4fd8.JPG号線が鈴鹿にむかって折れ、琵琶湖東岸では国道8号線となってのびているように、近世の東海bd96aa76.JPG道と中山道の分岐地点にあたる。本陣は閉まっていたが、古い家屋もそこそこ残っている。草津川が天井川でトンネルを掘ったというのも面白い。
◆こんどはいい季節に、街道沿いに歩いてみたい。

栗東歴史民俗博物館1990~

◆ぎりぎり15分前くらいにすべりこむ。初めてだが、けっこう充実している。時間がなかったので、またゆっくりと来る必要があ730442f9.JPGる。入館1630とあったが、入れてくれたのもうれしい。駆け足で見て、常設展示の図録が欲しいと思ったが1800円なのでやめた。1000円までに抑えるべきでしょうね。
◆草津市の埋文センターにも行きたかったが、時間切れ。また今度。

次は野洲、銅鐸博物館

◆ここも展示リニューアルをしてもいいのでは?。銅鐸博物館としての賞味期限は切れているんでは。たとえば大岩山古墳群ooiwayama-10.jpgの出土遺物が見れないわけだ。

安土城考古博

◆ここもリニューアルしてほしい。近江って日本のヘソだと思う。中心!。が展示があまりおもしろくない。縄文は淡水の貝塚がたくさんあるし滋賀里もある(530a629b.JPG琵琶湖博があるとしても)。弥生は大中の湖南もあるが、いまや下之郷はじめ集落遺跡の調査はずいぶん進んでいる。銅鐸も、保存上の問題があるのだろうが、昭和の小篠原のやつ、やっぱりホンモノを見たい。古墳。むろん展示物に即して組み立てなきゃならんのだろうが、滋賀県における弥生から古墳へ、あるいは古墳時代の盛衰など、ストーリー性がほしい。
◆模型がでかい(写真は大中の湖南のもの。とてつもなくでかい)。あんまり言うと怒られそうである。こうした方がいいとか、これも盛り込むべきいった考えをどんどん採用して、作り替えていくという、進化し続ける博物館であってほしい。リニューアル予算がつかなくても・・・。
 

探検の殿堂

◆要するに西堀栄三郎記念館。安土に向かうも、途中に案内板があり、院生に断ってつきあってもらうことにして、急遽、入れ55079d13.JPG込む。昨年度、博物館概論の準備をしている時に名前が出てきて記憶していた。それによると、ぜんぜん入らない博物館で、廃止が検討されたが、住民が運動して盛り返したみたいな話だったと記憶するが、現状は・・・しんどい。誰もいやしない。
◆まあバブルの産物ですね。西堀の資料類がどれだけあるか知らないが、西堀を敬愛する者としてこうした博物館があることは歓迎する。が、やっぱり持続して行くにはそれだけの条件はいる。作ってしまったものは仕方ないが、ハコ。それと展示。あまり時間をかけて見てはいないが、悪くないものの、もっともっと内容が盛り込まれてよい。2階の日本の探検家の絵はいらないだろう(万葉文化館に同じ)。日本の探検家を紹介するなら、もうちょっとやりようがあるだろうに。ここもまた、受付は配置しているが、学芸員がいないのだろう。
◆近江商人の記念館みたいなものの横を通過したが、残念ながらスルー。

多賀大社

◆前から行きたかったところ。門前は雰囲気がありそうであったが、実際、車を降りて散策してみると、ほんとの神社前の店ea7762ba.JPGはともかく、JRの駅からの通りの大方はさびれている。むしろ街道沿いの町並みの方がよさそうだ(足をのばしませんでした)。第1回大河ドラマの『花の生涯』の説明看板があった。以下、ウィキ。

◆村山 たか(1809-1876年)。近江国犬上郡多賀町で、多賀大社にあった寺坊尊勝院の娘として生まれる。生後すぐに寺侍村山氏に預けられ、18歳の時に当時の藩主である井伊直亮の侍女となる。20歳になり京都に上って、祇園で芸妓となり、その際男子をもうけるが、私生児であった為に自らが引き取り、生まれ故郷の彦根に戻る。その際彦根城下で蟄居生活を過ごしていた井伊直弼と出会って情交を結び、またその数年後に直弼を通じて出会った長野主膳とも深い関係になったとされる。やがて直弼が大老となり、江戸に移った後二人は別れたとされるが、安政の大獄の際には京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとなり大獄に大きく加担した。日本の政権に属した女性工作員としては、史上初めて名をとどめる存在である。1860年(安政7年)の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、1862年に尊王攘夷派の武士に捕らえられ三条河原に3日3晩晒されたが、女性ということで殺害を免れた。しかし、息子の多田帯刀は母親のかわりに岡田以蔵らによって斬殺され、首を晒されている。その後、洛外一乗寺の金福寺で出家し妙寿尼と名乗り、1876年に亡くなった。
◆長らく、たかと井伊直弼の具体的な関係は不明であったが、2011年の末、京都市東山区の井伊美術館で、井伊がたかへと宛てた手紙が発見された。手紙は井伊が20代後半に書かれたものと思われ、藩の反対で、たかと会えなくなった際の、辛い心情が綴られている。

◆生まれが多賀なのだ。昼飯に蕎麦を食べる。犬上郡に足を踏み入れうれしい。

2013年6月16日、近江の博物館めぐり

◆考古で(とはいっても学部生2人は教育実習で、院生2人と)、滋賀に行く。米原まで北上する。はにわ館というところに行った8557cfc8.JPGのだが、カメラを持ち出すのを忘れ画像なし。図書館を含む複合文化施設、その一画が資料館になっている。埴輪を露出展示し自由にさわらせるものだが、まあ子供向け。米原町の遺跡や歴史を展示するにはスペースがないのだろう。そこに行けば、だいたい情報がえられるような施設であってほしいものなのだが。
◆息長古墳群のうちの山津照神社と古墳に行く。広姫墓は先を急ぐのでパス。神社の社殿は改修中であった(写真)。息長氏の本拠地である。

笛吹神社

◆紀美野町からの帰りに、笛吹神社に寄ってみました。笛吹神社古墳があるのは知っていたが、本殿の背後にあるとは知ら8f5c818f.JPGず、そのまま帰ってきてしまいました。また出直します。境内に、日露戦争時に奪ってきたロシアの大砲が置いてありました。
 

考古学実習で陶棺の接合をやってます

◆これ、たぶん兵庫県出土だったと思う。古い記録を探さないとわからないのだが。一定程度、接合作業がなされ石膏も入れらb05639b9.JPGれていた部分もあるが、それも破損し、それ以外の破片も集めてきて、接合をやっている。2週やって、大きなブロックが5つほど組み上がってきた。パーツはあまりそろわないが、なんとか資料化したいものである。
◆先週やって、どうしてもない部分もあり、まだ破片があるのではと、倉庫の資料を再点検したが、なかった。過去の遺物、もっと考古学実習で活用できるな~、と箱の上げ下ろしをしながら感じる。三森定男の資料がすこしある。角田に預けたものではないだろうか。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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