人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
で民俗
◆コメントはようしません。入口を入ると百貨店のおせち料理がずらりとならんでいて・・・。写真は禁止されているし。聞くところによると、柳田民俗学といった従来の正統派に対して、最近の若い人の研究は社会学みたいで、そういうものが前半に盛り込まれ、後半が従来的な展示で、ちがうものがあわさっているのだとか。化粧品とか週刊誌とか、それと世界遺産が取り上げられて、民俗文化を観光資源とする動きを紹介しているということになるんだろうか。全体としてなかなかコメントしにくいわけである。
◆写真は後半の部分の初めのほう。スロープを下りていって後半部となる。確かに記録すべきかつての民俗はほぼ姿を変え、そうした採録・記録化という作業はだいたい終わったというのか、もはや形を変えたというか・・・。そうしたものをかつての姿として静的な展示に供することも、人々の興味を引くものではある。が、現在の課題としては、そうした地域の諸文化が形骸化しなくなっていくものもある一方で、祭りなどはなんとか残っているものもあり、そういうものをどう引き継いでいくか、そういうことに、民俗学をやっている人も考えざるをえないしコミットしていかざるをえないということか。
◆よくわからんが、しかし40年くらい前まで残っていたような文化を、いまどうするかという課題はむろん重たいわけだが、一方で、展示するという機能はやっぱりあってもいいと思う。それも歴史の産物なのだが、どっちかというと切り分けた方がいいのではないかと思う。そして民博とダブル部分はあるわな、と。けっこう子供は楽しそうでしたよ。もっと玩具とか体験的なものにする方向もあるだろう。
◆まあ、リニューアルした民俗の展示。とくにその前半部について、今度行ったときにでも、そこだけを集中的に見て、斬新ではあるがいろいろと意見が分かれうる展示について、また考えてみたい。
◆思い出したのでひとつ戻るが、葬送というのが新鮮だった。いまの火葬とは違う野辺送り、もう体験することのない、かつての葬送儀礼の展示は面白かった。葬送に限らず、祭りとかいうのでなく、出産や753や、結婚や、そういうかつての姿の展示はけっこう面白かった。
◆写真は後半の部分の初めのほう。スロープを下りていって後半部となる。確かに記録すべきかつての民俗はほぼ姿を変え、そうした採録・記録化という作業はだいたい終わったというのか、もはや形を変えたというか・・・。そうしたものをかつての姿として静的な展示に供することも、人々の興味を引くものではある。が、現在の課題としては、そうした地域の諸文化が形骸化しなくなっていくものもある一方で、祭りなどはなんとか残っているものもあり、そういうものをどう引き継いでいくか、そういうことに、民俗学をやっている人も考えざるをえないしコミットしていかざるをえないということか。
◆よくわからんが、しかし40年くらい前まで残っていたような文化を、いまどうするかという課題はむろん重たいわけだが、一方で、展示するという機能はやっぱりあってもいいと思う。それも歴史の産物なのだが、どっちかというと切り分けた方がいいのではないかと思う。そして民博とダブル部分はあるわな、と。けっこう子供は楽しそうでしたよ。もっと玩具とか体験的なものにする方向もあるだろう。
◆まあ、リニューアルした民俗の展示。とくにその前半部について、今度行ったときにでも、そこだけを集中的に見て、斬新ではあるがいろいろと意見が分かれうる展示について、また考えてみたい。
◆思い出したのでひとつ戻るが、葬送というのが新鮮だった。いまの火葬とは違う野辺送り、もう体験することのない、かつての葬送儀礼の展示は面白かった。葬送に限らず、祭りとかいうのでなく、出産や753や、結婚や、そういうかつての姿の展示はけっこう面白かった。
レキハク続き
◆まあ、原始(だったか)・古代、中世・近世・近代・現代、それぞれひとつの博物館ほどの規模がある。こんなものを見続けると疲弊してしまうわけである。なので、ひとつひとつをじっくり見ないとコメントしにくい。が、たとえば古代。7世紀史があって律令国家ができて、8世紀はそれなりに機能していて、9世紀になって変質していって、と。そっから先はイメージしにくいが、通史的には取り上げるべきことはいろいろあるわけだが、むろん、実際の展示物で構成しうるものとしにくいものはあろうが、なかなか日本の古代史の姿がどこまで表現できているかといえば?なわけです。貴族の寝所とか服装とかのスペースがけっこうあったりもしたが、そういうのもあってよいが、ほかに任せてもいいんではとも思う。古代史の人としては、もっともっと知って欲しいことはあるんちゃうかと。まあけっこう文字資料はつらいだろう。誰も読んでくれないので。ざっと見たところ、近世以降に人はいたが、古代史と中世史は数えるほどしかいなかった。
◆日本の歴史全体といえば、どんどん論文は量産され、展示が追いかけるのはしんどいであろう。まあでも、歴研と日本史研の講座が10年ごと?に刊行を繰り返しているくらいのペースで入れ替えたりするのが理想だろう。現実論は引き算なのかもしれない。盛り込みたいけど全部は無理ななかでなにを取り上げるか、ということなのかもしれない。がやはり、進展にあわせた更新や充実はやらなあかんやろ、と。そうした時にいまの体制でできるか?というのが、ひとつまえの記事。
◆ショートコーナーの地図の展示が面白かった。近代・現代はあんまり記憶はないが、近代は所在地の佐倉を中心とする地域史が中心だったかな。五日市憲法の展示はかすかに記憶するが・・・。それで現代というのもあって、公団住宅の復元があって・・・、と。忘れた。
◆日本の歴史全体といえば、どんどん論文は量産され、展示が追いかけるのはしんどいであろう。まあでも、歴研と日本史研の講座が10年ごと?に刊行を繰り返しているくらいのペースで入れ替えたりするのが理想だろう。現実論は引き算なのかもしれない。盛り込みたいけど全部は無理ななかでなにを取り上げるか、ということなのかもしれない。がやはり、進展にあわせた更新や充実はやらなあかんやろ、と。そうした時にいまの体制でできるか?というのが、ひとつまえの記事。
◆ショートコーナーの地図の展示が面白かった。近代・現代はあんまり記憶はないが、近代は所在地の佐倉を中心とする地域史が中心だったかな。五日市憲法の展示はかすかに記憶するが・・・。それで現代というのもあって、公団住宅の復元があって・・・、と。忘れた。
ヘコんでます
◆表題の通り。しかし仕事はせなあかん。1日・2日のレキハクの研究会のあと、民俗の新しくなった展示が1日目夜の懇親会で話題になり、これはミトカナと思い、いつもならサッサと帰るところ、午後も残って展示を見る。レキハクの展示を初めて見たのはいつだったか?。兵庫県史の仕事で、春成さんのところへ宗田先生と訪問した時―1990年―かもしれない。それ以前に行った記憶がない。しかもその時も話をしに行ったが、展示をまともに見たかどうかの記憶もないのである。今回、ひとおおり見直したが、中世の展示はいつか見たが、近世以降はさっぱり記憶もない。ひととおり見たのはもしかして初めてか?という状態である。午後、何人かで食事をしたあと、1330から1645まで3時間以上見ると、もう頭はくらくらであった。
◆考えてみれば東京国立博物館はあれ、日本の通史ぜんたい扱う国立の博物館といったらココダケということになる。まあ、展示するのもたいへんだ。こういうところ、研究機関と博物館機能は分けた方がいいんとちゃうか、と最後に思った。先端的な研究をすることと、国を代表する歴史博物館という機能とは、ちょっとズレがあるんとちゃうか、と。研究者はみな先端のことをやろうとしているわけだが、最小公倍数?最大公約数?的な展示をすることを使命とする博物館とすると、専門性はむろん必要なのだが、最先端でなく、もっと広く諸研究を吸収しバランスを取ることが求められ、また展示のプロとして手法などにも熟知した、そいういう人材がむしろ必要なんとちゃうだろうか。
◆別組織のことをあれこれ言えないが、結局、共同研究などを組織してバンバン成果物を出していく路線と、国立の歴史博物館として多くの来館者を獲得し、わかりやすく示していく業務とは、切り離した方が、どっちにとってもいいように思った。
◆考えてみれば東京国立博物館はあれ、日本の通史ぜんたい扱う国立の博物館といったらココダケということになる。まあ、展示するのもたいへんだ。こういうところ、研究機関と博物館機能は分けた方がいいんとちゃうか、と最後に思った。先端的な研究をすることと、国を代表する歴史博物館という機能とは、ちょっとズレがあるんとちゃうか、と。研究者はみな先端のことをやろうとしているわけだが、最小公倍数?最大公約数?的な展示をすることを使命とする博物館とすると、専門性はむろん必要なのだが、最先端でなく、もっと広く諸研究を吸収しバランスを取ることが求められ、また展示のプロとして手法などにも熟知した、そいういう人材がむしろ必要なんとちゃうだろうか。
◆別組織のことをあれこれ言えないが、結局、共同研究などを組織してバンバン成果物を出していく路線と、国立の歴史博物館として多くの来館者を獲得し、わかりやすく示していく業務とは、切り離した方が、どっちにとってもいいように思った。
明日の準備は?
◆今週、週末の研究会発表の準備をするもはかどらず、金曜日となる。現在5世紀中頃に到達した。もうやめてもいいのだが、いちおう6世紀までやっておきたいとは思う。ここまで作った部分は20部コピーしておいたが、今晩、さてどこまですすむだろうか。
同成社の古墳時代の考古学第4巻を受けとる
◆執筆者を見ても、もう自分より若い者が大半を占める時代になっていることがよくわかる。
京都大学考古学研究会の発足
◆市大の考古学研究会がなくなり、遺物や図書を引き取った。その関係の図書も、眠っていたが、こないだ、だいたい処理した。そこには京大考古研の会誌『トレンチ』もある。トレンチも、自分のいたころのやつは製本してあるが、それも図書館へ入れることにしよう。そんなんで、市大考古研のところにあった『トレンチ』34・35・36がまた手元に出現したが、捨てるにはしのびないので、いましばらくは取っておこう。で、創刊第1号と第2号も出てきた。第1号の末尾の「会の歩み」が掲げられている。
◆1960年宇治で発足、鳥羽離宮の調査などに参加。この年の11月、小野山助手の指導で、寺戸車塚の測量をしたという。つまりは物集女車塚古墳ですね。年明けの1961年3月には長岡京第3次調査に参加。1961年にクラブボックスが吉田に移転。4月~5月、考古学教室の大学院生佐原氏に縄文・弥生文化のレクを受ける。また、堺市経塚古墳の発掘調査に参加。夏、城陽市西山古墳群、近江国分寺、比叡山大講堂の発掘にメンバーが分かれて参加。
◆創設者の一人、橋下久氏とは、こないだ兵庫津の研究会で顔をあわせた。都出先生が入学したのも同年で、最初は関わったようだが、途中で離れたと聞いている。鎌田元一さんが入学するのは1964年、栄原先生と同期である。
◆『トレンチ』創刊号の西山4号墳の概報の冒頭を掲げる。
◆1960年宇治で発足、鳥羽離宮の調査などに参加。この年の11月、小野山助手の指導で、寺戸車塚の測量をしたという。つまりは物集女車塚古墳ですね。年明けの1961年3月には長岡京第3次調査に参加。1961年にクラブボックスが吉田に移転。4月~5月、考古学教室の大学院生佐原氏に縄文・弥生文化のレクを受ける。また、堺市経塚古墳の発掘調査に参加。夏、城陽市西山古墳群、近江国分寺、比叡山大講堂の発掘にメンバーが分かれて参加。
◆創設者の一人、橋下久氏とは、こないだ兵庫津の研究会で顔をあわせた。都出先生が入学したのも同年で、最初は関わったようだが、途中で離れたと聞いている。鎌田元一さんが入学するのは1964年、栄原先生と同期である。
◆『トレンチ』創刊号の西山4号墳の概報の冒頭を掲げる。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。