人を幸せにする人になろう

首長権継承儀礼としての古墳

◆先日の学部学生の演習発表を聞いていて、図示したような表を作りかけている(水野さんや和田さんの研究を図示しているだけだが)。もともと古墳が首長権継承儀礼のsokui.jpg場であるという見解を支持しており、具体のことが古墳の調査で実証できるかというと困難ながら、それは十分にありえ、それが大嘗祭につながっていく、ということはありうることと思っている。そのため関係資料をストックするフォルダも作ってはあるが、あんまり中身の蓄積はない。
◆基本的に寺澤さんに賛成で、いまいちばん考古学の側から議論を立てているのが寺澤さんだ。岡田精司批判は同感。墓で継承儀礼をやった証拠はなにもないというが、しょせん後の時代のもの。具体の埋葬施設の調査所見にもとづく議論で、寺澤さんを超えるのは容易ではない。がそこは自分もやるべき。
◆言いたいことは、水野さんの言うように、埋葬時期はほぼ冬なのだ。11月に特定されているわけではないが。それと11月に大嘗祭が行われるようになることとは関連あるとみたい、というのがネタ。大嘗祭が新嘗祭のひとつというのは当たらない。折口信夫は基本的に生きている。数々の天皇継承儀礼が整えられてくるが、その本源が大嘗祭で、その本質はニニギノミコトの祖霊を継承することであるとの議論は生きていると考えている。が、ニニギノミコトなどの存在そのものも、そう古いことではないのかもしれないが、そうしたコンセプトが整備されるのは後代としても、古墳上でそうした観念の下で継承儀礼が行われていた可能性は十分あると思ってる。
 

2012列島展

◆堺市博物館で検討会後、列島展の展示を見た。近つにも和泉の国歴史館へも行けていない・・・。列島展はこうしてさいa6ff0242.JPGわい見ることができた。地域展の《慶長を掘る》の図録もいただいた。一定の感想もあり論評もしてみたいところだが、集団で見ている制約はあり、個人でじっくり見ないと無責任なことはいえない。
◆気になったのは、図録が非常に学術的なのだが、展示の工夫がやや気になった印象。とはいえ、解説パネルが小さくて文字が多いな、くらいの印象で、ちゃんと見直しが必要だが。こと、この展示そのものの話はここまでにする。以下、一般論。
◆なんとなく図録に精力を割き、展示がそれにくらべて工夫が追いついていないみたいなことは、どこでも、とくに研究面を重視するところでは、そうなるような傾向があるように思う。残っていくのは図録で、そこに力点を置く。展示は終わったら片づいてなくなるわけだが、本来は逆ですよね。展示でいかに見せるかがメイン、図録は補助。買ってくれるような人には、いい図録やな、頑張っているな、と思ってもらえるが、そうでなく一般観覧者に、展示の中でいかに伝えるかが柱だろう。
◆それと全国巡回展で、秋田の遺跡を見ていて、やっぱり埋文業界は、いかに展示し成果を発信するか、これがきわめて重要ということを感じる。いまどこの組織でも(発掘機関とかいう意味だけではないですよ、大学含めてすべて)存在意義を市民に理解してもらうかが課題になっているが、埋文はこれ必須だと感じた。
◆例えば自分自身に引きつけていえば、松岳山古墳の測量をしたと(未完だが、ほぼできた)。それをリーフレットを作るようにしており準備もしているが、それだけでなく、例えば学内でパネル展を文学部の廊下を使ってやる、さらにいえば、柏原市歴史資料館の壁をすこしお借りして速報パネルを掲示させてもらう、そういうことをやっていくべきですね。そういうことも考えていきたいもの。
 

クローズアップ現代で渡辺邸解体が取り上げられた、とのこと

◆さて陵墓見学会のおり、渡辺邸の解体が、前日29日のNHKクローズアップ現代で取り上げられたことを知る。早速情photo3281-1.jpg報をもらったので紹介します。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3281.html#marugotocheck
◆NHK、金取るな。テキストで呼んだわい!。繰り返すが、行政に限界がある中で、文化財を実際に守っている地域住民、そして支援したいと思っている潜在的応援団が力をあわせ、なんとか守っていく仕組み、そういうものを作り育てていかなければ、と。
◆渡辺津があり渡辺党がおり、いまの大阪がある。

ニサンザイ調査の感想

◆今回、レーザー測量の図面が堺市のリーフレットに使われていて感動。いや~、すごい。で、まあよく残っているわけだ。そこに19箇所のトレンチが入っていて、テラスがあり、埴輪があり、中段裾の葺75af8942.JPG石があると。こうした多数のトレンチを入れてテラスばっかり掘ることには疑問もあるが、いろいろ書いてきたし繰り返さない。一定の理解もできる。が、1シーズン3ヶ月弱でやる調査として過大ではないのかという反対意見は、7月懇談会時にもあった通り。その心配は当たっていないこともないように思う。半分に分け、各トレンチをより入念に調査すべきだろう。
◆個々のトレンチの判断は詳細には語れないので、全体の印象。転落石や埴輪片が出る流土と思われるものを除いていき、多くのところで埴輪が宙に浮いてしまっている。埴輪は掘形がなく据え付けたものであるらしい(御廟山でもそうらしい)。据える前の面があり、割り付けをして並べ、そこにテラス面の仕上げ土を入れるんだろう。なので充填する土は、それより下位の盛土の締まりよりはやわらかいんだろう。すなわち動きやすいようだ。
◆確かに基部あたりでも埴輪片が出ている。なかなか判断は難しい。全体がずっていて、埴輪片も落下し、検出状況としては、ああならざるをえない箇所もあるのだろう。しかし据え付け時に埴輪が欠け破片が充填土のなかに入る場合も想定できる。あるいは明らかに掘り過ぎと思われる調査区もあった。
◆据え付け穴がなくこうした設置方法を採るものの調査なんてしたことはないし、難しいんだろうな~、と思う。が、し214e8001.JPGかし、埴輪片が入っているので掘り進め、底部まで露呈してしまうとすれば、ちょっと待てよ、となる。あるいはそうした設置方法とすれば、残りのいいところであれば、残存面と考えられるところで止め、半分とか壁寄りで接地面を検出する、といった姿に仕上げることが考えられる。そこは試行錯誤の上に、現場で妥当な判断を導いていく必要がある。難しいのは理解できる。そういう意味で、2回に分けて、次年度、そういう経験をふまえて残りに望む、ということがあっていいのではと感じる。
◆ことは全国第7位の前方後円墳である。あんまり言うとさしさわりもあろう。が、それだけの経験と能力をつぎこんで、この最大級の古墳に慎重に対峙してほしい。埴輪があればカッコいいし、成果が上がっているように見える。致命的になにかを壊したというものでもないかもしれない。こっちとしてもエエモンを見せてもらっているという面もある。中断裾がありテラス面があり埴輪が立っているという当たり前の情景の細部に、実は難しい面があったようだ。
◆説明を聞いていて悩みもわかったし、意見の違いもあるようだ。是非とも、議論して、それぞれの調査区での検出状況がこう説明できると解明してほしい。
【追記】当初の記事に事実誤認や不適切な発言がありました。心よりお詫び申し上げます。

南造り出し

◆南側には三角形状の突起があり、まあ造り出しがあったんだろうというところだが、水が引くと、あざやかに裾部残丘の5b0f7243.JPG高まりが浮かび上がっている。それにしても、こんだけ削ったんでしょうね。自然な侵食なら北側のように、角がとれ、やせたようになるのだろうが、南側は切り取られている感じである。
◆写真は南辺を、後円部側から見たところ。張り出してるでしょ。
 

ニサンザイ同時調査と宮内庁の限定公開

◆中百舌鳥駅につき、土地勘もあるから歩いていけば行き着くだろうと、地図は見ていたがもたずに歩き始める。なかな6c43e440.JPGか古い良い道があるではないかと選ぶと、西高野街道だった。ちょっと想定とは方角が違っていたが、わかっていなかった。歩いていくと、大阪府立大学に出る。だいぶ東寄りだった。とにかく四角いキャンパスの一辺を反対側まで行かないといけない。時間は1230ぎりぎりに間に合いそう。進むと、ニサンザイの例の墓地が見えてきて、ほぼちょうどの時間にだどりつく。
◆まず学会側で出席確認、考古学研究会の担当からの説明。宮内庁からA3のいつものごく簡単な資料、そして堺市の土日用のカラー4頁の資料をいただく。で、まず遺物を見る。埴輪はヨコハケがビシバシ美しい。須恵器・甕あり。造り出しの小壺や鏡形土製品などがならぶ。すべて堺市さんのリーフレットに写真出てます。
◆それから下段上面テラスを一周し、19カ所の調査区を、後円部側から時計回りにめぐる。そのあと、堺市さんの2カ所の調査区の説明を受ける。
◆終了後、堺市博物館へ歩いて移動して検討会(1630~)。いまやっている列島展+地域展を1730の終了後に見せていただき、百舌鳥駅前で反省会(飲み会)。0歳児も参加する。
◆さて、あすあさって、1日5000人先着順で公開するとのことだが、たいへんだろうな~。
【追記】写真は堺市調査区見学風景。あす、ここをみなさん歩くことになる。
 

3連休も終わってしまい11月も末日

◆23日に福山に行ったわけだが、24日の土曜日は1日、和泉市史の原稿。
◆が、結局なにをやっていたかというと、大2f19212c.jpg阪府の1961年の1/3000の地図の等高線をなぞって終わっていく。条里はやったわけだが、そこに地形をちゃんと組み込まなあかん、で3D化もしたいと思う。そこに灌漑水路を組み込み、地域圏の復元を行い、その枠組みがいつまでさかのぼるかをみたい。が、状況はそんなに甘くはない。いいことなんだが、もっと早くやれよ、という話になる。いまとなっては、そんなことやってるよりも、とにかく原稿を書かないといけない。
◆25日の日曜日、この日、結局、出勤せず、ユニクロに行って買い物をして、家の片付けをすることになるが、カミさんと大げんかとなり、昼間から酒をくらって、フテ寝とあいなった。ああ、何をやってんだろうか。
◆月曜日、模擬展示のため、この日も大学史資料室に行き、資料のスキャンをやる。受講生も次々にやってきては、あれとこれをスキャンしてくれと、発注される。火曜日の2コマをこなし、水曜日は、学部の演習後、卒論演習に突入するが、終わらず、和泉市史の方の来訪(3週間でとにかく書くことに・・・)、次いで理学部院生との相談。木曜日は博物館実習の5限にむけて、解説パネル・キャプション等を整え、授業に突入、このところ902c63fa31.jpg分で終わるはずもなく、模擬展示の打ち合わせが続く。
◆で金曜日、朝、卒論生1名の相談、それから大学史資料館に資料借り出し等の申請書をもって行き、12月6日の展示設営の打ち合わせをやっていると、おっと11時30分に。このままだと遅れるので切り上げ、杉本町から中百舌鳥へむかう。12:30、土師ニサンザイの現場事務所集合で、今日は宮内庁の学会側への限定公開。
◆あわただしく日が過ぎてゆき、片付いていないことが多いが、しかし、12月6日にむけて全力投入するほかはない。

広島県立歴史博物館(1989年~)

◆広島県の歴史にかかわる通史展示+草戸千軒の展示。草戸はIMG_1588.JPG1994年までで完掘したんだ。三角縁神獣鏡は複製だが、石鎚山の斜縁は実物だった。が、ほ0173038d.JPGかに客はいない・・・。福山駅前、徒歩5分。ちょっと寂しい。夕方になっていた時間帯ではあり、昼間はそれでも客はいたであろうが、となりの美術館には人は入っていくが、歴史博物館にはほとんど人がいない。
◆展示を見ていると、根来のカラー写真があった。広域農道敷設前の。
 

しんいち歴史民俗資料館

尾市1号墳のある新市。ネットによると、1985年、旧芦品郡新市町において「新市町立歴史民俗資料館」として開館、89cd5fe5.JPG2003年、合併により「福山市しんいち歴史民俗博物館」に。2008年、「福山市あしな文化財センター」が付設される。
 

 

備後一宮の吉備津神社(いっきゅうさん)

◆新市にむかう。資料館をめざしたが、途中、看板をみて備後一宮に。なにやら人だかり。市立(いちだて)大祭らしく、老若男女びっくりするくらい人が集まっている。ここは吉備である・・・。bee52873.JPG
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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