人を幸せにする人になろう

阪南大シンポ

◆無事終わりました。朝、地図を確かめてよかった。高見の里の高校のところと思いこんでいたが、天美だっ33cd92ae.jpgた。そういや、前に自転車で大学に行っていたとき、大津道に落ち着く前はより北側も通ったりして、横を通過したことがあった。そんなんで、930集合といわれていたので、道明寺まで歩き、南大阪線に乗り、無事にたどりつく。
◆何人くらい入っていたのだろうか。150人前後?天野さんの鉄器の話も面白かったし、徳田さんの宮内庁書陵部の仕事の話も面白かった。西田さんの、近代以後、神社の社叢のように植樹したという話も面白かった。自分は?、やっぱり5つのネタは1時間では多く、終わりまでいかなかったが、まあ、あんなもんでしょう。
◆徳田さんがおっしゃるように、陵墓であり文化財であり、また貴重な緑地でもある、その調和という話や、愛される陵墓をめざすというのも、とてもよかった。将来像として、こうなったらいいという基本線に大きな違いはない。その調和の具体の姿というものも、少しずつ作っていけばいいと思う。陵墓の保全整備も、あくまでも現時点の手当であって、よりよい工法とかができあがれば取り外せるような施工とする、というところも納得。なにも史跡整備のように復元ばかりが整備じゃない。むろんそうした整備も現時点でのものなのだが、基本はあんまりいじらず、埋まっている状態で置いておくのがもっとも保存によく、汀の傷みをとにかく手当てしていく、というのは、そうやな~と思った。
 

大学予科

◆大阪市大は、戦前の大阪商科大学+工業専門学校だったか、それと家政学部のもとであるなんとか、3つが合体し新ef7b7ced.jpg制大学となり、のち医学学校がくっつき医学部となり、理学部は新設したのだろう。で、大阪商科大学の展示をやっているわけだが、まず予科って何よ、というところから始まる。
◆勉強しました。学業担当の班の受講生がひととおり原案の説明文と表を作ってくれたのだが、どうも違っている部分があり、もう一度確認して直してと頼むが出てこず、結局、自分で調べた(あまりよくないが)。
◆なかなか戦前の学制を理解するのは難しい。ほんというと、一定程度データはあるようだが、いろいろなコースがあるわけだが、その比率も付加したいもの。旧制高等学校に行くのは何%だったのか、とか。ネットでは義務教育である小学校を終え、高等小学校に入るのが66%だかという数字が上がっていた。
 

いや~段取りが悪い

◆阪南大シンポのパワポを作らなければならないのだが、金曜日、東京行きが入る。まあ、新幹線往復の時間でなんとかなるd351c70a.JPGとは思いつつ、木曜日、大学を出るとき、ネタとなる過去のパワポなどをコピーしてくることを忘れる。いや、いまやっている博物館実習展のリーフレット作りで頭がいっぱいで、家に帰って、その作業を続けようと思っていた。
◆ハタと気がつくと、ネタがない。しゃーない。朝、大学に寄り、使えそうなものをノートPCに移す。で新幹線。1人だと指定を取ることはなく、この日も往復とも自由席で座れたが、週末で自由席も満席で立っている人も多い。
◆東京駅、きれいになったが、前ってどんなんだっけ、というのが思い出せない。丸天井の写真を撮る。外観をもっと努力して撮影する時間的余裕もあったが、地下鉄の入り口のところからの斜め1カットのみ。前に同僚の人から、凸版印刷の印刷博物館の企画展チケットを、東京行く機会もあるだろうからともらっていたが、実現せず。
◆で用事が終わっての帰り。品川を出たところで、車内が停電し、新幹線も停止した。地震だ!。けっこう揺れている。さいわい、12分で東海道新幹線は動き出したが、東北方面が心配である。東京の息子にもメール。これこれこうだと言うと、東京に来たんやったら何か食べに連れて行ってくれたらいいのにと言われ、そうやな~、まったく無関心というか、なんにも発想しなかった。
◆パワポもできるところは仕上げたものの、明日、こういう話をしてくれと言われている本体である墳丘の変遷のネタが欠落していることに気づく。あかん。また大学行かな・・・、トホホ。20時に新大阪に到着したが、杉本町に向かう。21時前に着き、ネタを仕込む。まあ、かっこはついたか。
◆こういうの不便やし、テラのハードディスクに研究室の数台のパソコンの全バックアップを取っているが(規則的に更新できていない・・・)、それを家に置いておこうかと思う。ちなみに、オレの場合、家には考古学の本はない。すべて研究室。で、毎月末とか、ハードをもっていってバックアップを取っては持って帰ってきていると、家でも必要な素材がある、ということになる。

12月6日博物館実習展A成る!

◆朝から虫ピンが足りないのではとコーナンをはしご。学生の作ってくれたアンケート用紙をキレイにし、パネルの補足と290083f9.jpgやっていると時間はたち、1530に大学史資料室に行き、貸出物品と展示ケースの鍵を受けとり、feb8c4b7.JPG学生を待つ。1620過ぎからの5限で準備が始まった。パネルボードを倉庫から出し、展示物のあるチームはモノをならべ、そうでないチームは各自のパネルを仮留めし、ああだこうだと調整。OKというところでピンで固定。1750の5限終了をすこし過ぎたが、用意したものはすべてセッティングできた。
◆ひととおり終わって記念写真。あんまり自分たちの展示は見えず、向こうに見えるのは大学史資料室による看護学科の展示だが、また改めて展示Aの画像は紹介します。
◆展示Bの地震と津波班の分は、理系と日本史の学生にお任せ状態が続く。展示Aも追加パネルや調整が必要だし、リーフレットはできていないが、まあ追々。そして展示Bにシフトしていかなければならない。
 

ちなみに

◆12月8日の行事のチラシです。木曜日の模擬展示の設営まで身動きできないし、パワポは前日の金曜日だな・・・。882c9271.JPG
 

ニサンザイ一般公開

◆いずみの国歴史館から、泉北の道路を通って大学に行くとなると、ニサンザイを通るわけです。これ見とかなあかん。でe3e34845.JPGのぞきに行く。前方部西側が受付になっていて、150とか200人単位で全体説明、そのあと6773321a.JPG現場に向かい、20人ずつ通路を進んでもらうとのこと。足場c2d8ad61.JPGの荷重の関係。おじいちゃんが手すりから落下しないのを祈るばかりという。日曜日の昼、続々と人が集まり、既に見た人が帰って行く。昨日は3000人弱くらいだったそうです。一時ヒョウが降るような天候だったとか。
◆展示施設も充実していて、金曜日に見た宮内庁調査区の出土品のみならず、堺市調査区の埴輪をずらずら並べてくれている。鹿児島の橋本さんも駆けつけている。なりゆきで博物館巡りをして、ニサンザイに立ち寄ることになった、予定していたわけでない行動だったが、ほんと行って良かった。
◆ここまでくれば、墳丘本体含めての史跡指定を実現してほしいもの。
 

和泉市で大園の展示

◆これ行きたかったんですわ~。近つを見終わって大学に向かおうと思っていたが、今日をのがせば厳しいので、a43c675e.JPGみはらの黒山廃寺展と和泉の大園展をはしごしようと思ったが、黒山廃寺はパスした。1374aca1.JPG
◆大園の埴輪の一部がならぶ。ツイタテ形・盾形など。あとは上町(かみちょう)の埴輪棺の資料、貝吹山・カニヤ塚の資料もならぶ。そして大園古墳、6世紀の集落資料、それに8世紀の資料、10世紀~11世紀の資料も。大園の全体像がいまいち把握できないのは、遺跡が和泉市・高石市・泉大津市にまたがるネックもあるわけだが、主要な資料を集めてくれているようだ。
◆眼目のひとつは摩湯山との関係で、4世紀後葉の大園の埴輪集積遺構の資料が見れるからというのであったが、一方でいまやっている和泉市史テーマ編を書かなあかんこともあり、どうしても大園の6世紀以降の集落のことを知る必要があったから。和泉国府説にもふれている。
◆A3二ツ折りのリーフレットしかないのは残念。並べてくれている資料の写真を、ひととおり収録したものがあれば、ありがたいのだが・・・。
 

近つで南九州の資料を見る

◆夜、博物館実習の仕事をして夜半に学生にメールを送り、朝、近つに向かう。10時着。車から降りるとき、図録はもったが、鉛筆を忘れる。特別展の入口で壺形埴輪を見て書き込もうとポケットをさぐるが筆記具はなし。とたんに気持ちが萎える。
◆南九州の最先端を知ることができる。とくにレキハクの研究会で橋本さんの話を聞いていたし、鹿児島の最先端の資料をみることができ感激である。。大昔にまわったと時は横瀬と唐仁大塚だけだで、塚崎とかまわっていなかった。前に家族で南九州に行ったときは、夜中、南下していると横に横瀬があった。内之浦近くでテントを張って寝た。
◆その前はえびの高原のキャンプ地のロッジに泊まったのだが、そうか、島内は高速道路の西側だったんや。これ高速道路が一律2000円とかいうときに、えびのに泊まり、翌日、高千穂にむかい、そのあと肝属平野に下りていったのだった。ロッジはかび臭く、離れの風呂に入りに行くとフランス人がいてびっくりした記憶がある。それと夜中、外に出てみると、鹿ががさごそしていた。そうそう台風が接近していた。
◆まあ、それにしても、こんだけの古墳があり、初期須恵器や武器武具がばんばん入る南九州とは何なのか、なぜなのか、橋本論文を読んで勉強しよう。
◆それとまあ、ありがたいことやな~、と。大阪柏原市におり、春・秋、弥生や近つや、カシコーケンや、安土や兵庫県など、考古の特別展が身近で開催されることが、だ。まわりに古墳もいっぱいあるし。今日も観音塚の横を通りつつ、オーコに行ったことはないな~とか思いつつ、こんなにも身近に研究対象がころがっていることに感謝し、もっともっと大阪のことせなあかん、と改めて感じていた。

ニサンザイ続き

◆布堀の掘形を穿ち、埴輪を据えるのでないという、ひとつの手法が確認できたと。御廟山もそうらしい(ちゃんと読みます)。その前は基本は溝を掘る。それが5世紀半ばを転換点に据え方が変わるのかも。これ重要な事実ですよね。そうすると、それは、どこまで据える以前に表面を調整しておき、埴輪をいかに据え、そして埋め込むのか、これだけの良好な調査事例なだけに、そこでじっくりと手術をし、ブラックジャックばりのオペをやり、手法を復元する、くらいのことをやってほしい。調査途中で、そういうことがわかってきたなら、そこを確実に明らかにする試みをやってほしいもの。調査って、そういう試行錯誤をやるもんですよね、学術調査の場合。予定している調査箇所をなるべく掘り上げようとする、が、出方によっては手間がかかるし、上に挙げたような、この現場で勝負しておく課題も生まれる。壊れる遺跡ではない。予定期間はあるにしても、期間内で掘り上げることが至上命題ではないはずだ。
◆とかいったことを本日、考えておりました。

古代史教員の公募

◆模擬展示の仕事を一日やるつもりで出勤したものの、陵墓と大歴で暮れていく。いつもの愚痴です。空調が壊れていて寒いし。土曜日の22時半となり、まあ誰もいやしない。ま、あたりまえのことですが・・・。まずい、近つ、明日までや。
◆さて、大阪市大の日本史で、古代史教員を公募することになり、公表されました。
http://www.osaka-cu.ac.jp/ja/about/jobs_faculty/faculty

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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