人を幸せにする人になろう

スイッチバックの北宇智駅

◆そのあと北宇智駅に行く。真新しい小屋のような無人駅、面白くないと思ったが、歩いていくと、数年前までの旧駅があbb99c83d.jpgる。いわゆるスイッチバックの引き込み部のところに駅があり、平成20年あたりまではあっf753f2d7.JPGたようだ。ウィキによれば、2007年にスイッチバック廃止の工事が行われたという。一日の平均乗車人数は180人という。
◆まったく別件だが、近鉄河内国分は15500人、こないだ行った京阪関目駅も、ほぼ同じ数である。
 

五條市の藤岡家住宅(2008年公開開始)

◆和歌山に午前中行き、昼前には出て、いくつかぶらぶら。この日曜日も出勤せず(科研やばい・・・)。で、五條市の藤595013d1.jpg岡家住宅に寄る。近内の庄屋さん宅。ひとことで言えば、良かったし、いろいろ学ぶ。
◆まず、先代未亡人がなくなられて30年間放置され、五條市に寄付するから修理や公開を任せようとするも、五條市が断る。そんな金はない・・・。で、つぶす話もあったが、いまの所有者(関東にいる)が、もったいないし、修理はするから、公開活用はNPO法人でやってくれという話でまとまる。案内してくれた人は、その時の、30年間放置され、ぐずぐずになっていた建物の調査の時に大学生で参加した人で、そのままNPO法人に就職して給料をもらっているんだとか。30年間放置がかえってよく、1980年代初頭の段階でストップし、その後、整理されることもなく、こっそり古い電化製品なども残っているという。むろん、書画のたぐいも、いいものが残っている。建物のみならず展示物多い。
◆とにかく訪れる人には、すべて案内が付いてくれ屋内をまわる、また登録文化財だが指定ではないので、どんどん315fe89f.jpgお茶会とか披露宴とか食事会とか、貸し会場として利用し、建物内部に喫茶店がありお茶が飲める。何人も見学者がいたし、例えば春の予約もかなり入っているという。
◆ちなみにこのNPO「うちのの館」が、五條文化博物館も運営していて、というか、NPOという受け皿ができたから、文化博物館の再オープンが実現したのであろう。とにかく、古い住宅があって、中を歩き、ところどころ上にあがれ、見終わったら「ふ~ん」と帰って行く、そんなところではぜんぜんない。人が説明してくれる、人が運営しているという雰囲気がわかる、努力しているということがわかる。で、むろん行って面白い話が聞ける場所になっていると思う。成功していると思う。
 

2012年10月20日、三角縁神獣鏡の原稿が佳境に入る

◆まあ、今日でほぼ決着をつけたい。ちょっと図は残るかも知れないので、最終ゴールは月曜日か。そう思っていたら、科04c20bb7.jpg研の申請書があった。まだ1字も書いていない。ネタは前々から考えてあるのだが、もう〆切間近。今週は、日曜日も出勤だな。
◆それにしても下垣さんおそるべし。あの三角縁神獣鏡辞典。とても勉強になる。研究が進んでいることもよくわかった。その上で、昔やった杵柄(こういう字でよい?)にもとづき、未処理の問題に判断を加え、より論理的に三角縁神獣鏡を論じたものにしたい、というのが課題だ。
◆パソコンをもう1台導入し、納入されたが、これに切り替える余裕もない。
◆18:00、ようやくひととおり書いた。さて、図でも作ろうか。未完・・・

小学館の〈昭和の歴史〉

◆むかし、この10巻本の〈昭和の歴史〉を2~3冊買って読んだ。1982年から1983年頃に刊行されたもので17074b47.JPG、浪人中に買ったもの?。それをカミさんが読み始め、「第3巻はないんか」とか言うもんで、アマゾンでそろう限り注文した。あるものは、1円とかでほぼ送料のみだが、全部はそろわない。
◆カミさんいわく・・・。いかに軍上層部が、自分たちの手柄を競い、理性的・慎重派は排除され前線に送られ、甘い見通しでアマタの兵隊を失い、反省もせず取り返そうとし、失敗を繰り返す。そうしたことの連続に唖然とするほかない、と。さらにいえば、そうした昔を語る、多くの兵卒をあっちこっち現場を知らずに動かし無駄死にさせてきた軍上層部のやつらが、戦後、のうのうと生きながらえていることにも腹が立つと、怒っている。
◆カミさんは日中戦争を読んでいて、オレはいま太平洋戦争を読んでいる。初期の戦勝に酔いしれている間に、早くも連合国軍は巻き返しの戦略を練っている。珊瑚海海戦からミッドウェーなど、昔、軍艦のプラモデルを作っていた頃に読んだものを思い出しつつ、ガダルカナル、ポートモレスビーなどのところを読むと、カミさんの言うとおりである。無駄死に。消耗品でしかない兵隊。
◆それが靖国に祀られ、安部晋三は参拝し、国のために命を捧げた英霊に感謝の念を表明するのは当たり前だと、のたまう。橋下君もそうである。自分は近現代史をちゃんと学んでいなかった、というのなら、こうした本を今から読めばいいのである。その上で、近現代史教育施設を提案すべし。

山中さんのノーベル賞

◆15日月曜日はバイトの日。玉3の遺構図トレース。松岳山のトレース、まだ等高線が終わらんか?。とはいえ、この0dfd7556.JPG日は城陽市に行かないといけないので、12:30までで、あとは3人に任せる。
◆城陽市は例の芝が原だが、かなり終盤戦に近づいている。まっとうに、最初からひとつの史跡整備につきあっているのは、これがもしかして最初?。遺跡の規模は小振りではあるが、そうした史跡整備が進んでいく過程を経験させてもらってありがたいことである。あとはサインの説明板と模型くらい。
◆山中さんがノーベル賞をもらったが、市大当局者も複雑な心境か?。大学院で市大に来たが、そのあと留学し、市大に戻っても、マウスの世話ばかり、みたいな話でしたね。タイミングもあるし、そういう下積みも必要なんでしょうが、市大の名前が出たのはいいのだろうが、印象はよくない?。そのあと奈良先端大は、人を見る目があったということになる。京大はそれを引っこ抜いた。カミさんいわく、クレストがよかったらしい。クレストというのは、旧科技庁の科研みたいなやつで、それで億の研究費をもらい、それで大きく進展したらしいですよ。
◆カミさん曰く、京大とか、まわりにそれで博論書くような者が脇を固めていて、まあぜんぜん環境がちゃうから、と戦力となる学生や院生がいない身をなげいている。その山中先生だって、前にみたテレビでは、研究環境がアメリカなんぞと全然違うのだそうである。なんだっけかな、まず職場のゆったりさや建物など、それからテニスコートやジムやら、研究に集中し、倦めば気晴らしできる、そういうところしか覚えていないが、なんかそんなことを言っていた。日本は、有能な研究者ほど、ジムではなく事務をせなあかんのである。
◆一方の村上春樹。読んだことなんぞないのでコメントのしようもないが、そんなええもんでっか。あるいは、そんな影響力があるのでしょうか。そのへん皆目わかりません。がしかし、新聞は既に特別扱いですよね。なにやら1面に顔写真入りで、文章を載せる。なんだかな~、そんな拝聴するようなえらいコト言ってるんだろうか、まったくわからん。

金曜日の晩?飲み屋で

◆土曜日、3人で、近くの飲み屋に晩飯に行く。娘とは口をきくことも少なくなり、というのもオレが帰ると、部屋に引き上げ、引き戸をピシャリと閉められる、そうでなくとも、話しかけられるのもイヤそうなので、こっちが部屋に引きこもる、という感じである。が、飲み屋ではよく話ができたので嬉しいわけである。
◆が、いまとなっては、何を話したか、思い出せない。う~ん。
◆カミさんが、金・土で東京出張だったのだが、土曜日の昼、息子とメシでも食おうかということで誘いのメールを打つと、どんな返事が返ってきたと思う?と聞かれ、「さ~??」。答えは「今日はディズニー」だそうである。あらま、デートですかね、まさかの男同士?、グループ?、まあどうでもよろし。よろしいな~、というほかない。

四条畷の資料館(1985年開館)

◆ここは初めて。狭い路地を入っていく。特展をやっていた《川辺でくらす》。ここでもイオン。企画展はある大規模調査の中間報告なのだが、その原因がイオンなのだ。イオンは絶好調なんでしょう620a7f3a.JPGね。あちこちで埋文の調査を引き起こしている。
◆ふだんは常設なんでしょうが、展示室が一0344d84e.JPG室なので、7442c25f.JPG片付けてやっているのだろう。入場無料、ちょっとしたパンフ無料、海獣葡萄鏡の土製品のおみやげつき。なかなか頑張っている。手作り感もあって共感できる。高句麗壁画から採った人物像をおっ立てているのは、学芸員の趣味か。古墳時代の土器が中心。
◆最後に滑石製石鍋の破片があった。入り口には模型があり、こういうのは市域や周辺の地形なんぞもわかっていいですね。なにやら子供らの遊び場になっている。
◆そのあとは、昼飯食って、2人とも大学へ行くべく鞄を積んできていたが、しんどいし帰って寝よか、といって出勤はなしにして戻る。ま、気分転換。これでまた今週、頑張りましょうということで。
 

何十年ぶりかの忍ヶ岡

◆それから、清滝街道を西に四条畷に向かう。これを機にとばかりに忍ヶ岡古墳に行く。カミさんに805c80c3.JPG「結局それ」と言われるが、つきあってくれた。前に忍ヶ岡に行ったのは、大学時代なのe5ba0b63.JPGで25年くらい経っているか。まったく前の記憶もない。しかし、岡山という名前のごとく、ここがぽっかりと高まった高台であることはよくわかる。車で入って行くには狭いが、神社に出る。なにやら社殿が建て替えられたばかりで、まだ細部の工事が残っているような状況だった。竪穴式石室の復元覆い屋をのぞく。ふだんは声をかければ鍵を開けてくれるのかもしれないが、なんか工事中で、まあええわと。
◆梅原報告の段階よりもかなり墳丘もがたがたで、確か、なんとか市史にその後の測量図が掲載されていた。本来ならば、前方部側など、ぐるりとめぐるのだが、墳丘はみるからにガタガタだし、まあええわとそのまま引き上げる。たぶんしかし、くびれ部くらいなら残ってるんではないか。
◆忍ヶ岡というと、むかし、京大にある遺物をみんなですべて実測し、トレースまでやっていたのだが、それらはいま手元にあるが、これもなにかの形で報告せなあきませんね。いまから考えると、茶臼山の測量報告の時につっこめばよかったですね。でも、そのころは、墳丘の測量をやって遺物と合わせて、という構想をもっていたわけだ。
◆しかし、それもこんな状態なら、もうなんもすることはないし、遺物だけ何とかしましょう。
 

磐船神社

◆そのあと、むかしサッカーをやったことのある、くろんど公園?、へ行こうとするも道を間違い、ひとまず洞窟めぐりが面b135df3a.JPG白そうということで、磐船神社へ行く。交野物部氏?とかなんとかという縁起が書いてあった。岩穴めぐりは、どうやら、川を埋める巨石の間をくぐるもののようだが、タダではなく500円取るというので、カミさんが儲け主義にしらけたというのでサッサと引き返し、おれは払ってもいいかと思っていたが、まあ、そこで立ち去る。
◆いつものように、お参りはしておきました。
 

2012年10月14日 市大植物園ほか

◆いつものように、どこいこか?、どうしようかc6006918.JPGe2a7d531.JPG?、理学部植物園に行ってみるか、とあいなり、交野市にでかける。大人350円。駐車場代500円。入ったときはほとんど客はいなかったが、帰る頃には、そこそこ202a6160.JPG人も入っていた。かなり広大で、ひととおりぐるりとめぐる。世界各地の植生が順に配置されている。なかなか手入れはたいへんだろう。理学部の先生からも、なかなか大学で維持していくことに風当たりが強いという話を聞いている。うちの博物館実習でも、理系の人には、ここへ行ってもらっている。
◆むろん京都府立の植物園のように市内のどまんなか、というわけではないが、京阪交野線があるし、やはりある程度の入園者数を稼がないといけないのだろう。ゆっくりするには、このくらいの人数の方がありがたいのであるが。研究のための施設でもあり、一方で一般に開放しているわけだ。まわりに府立の公園もいくつかあるのだが、花を見たり森林浴をしたりと、気軽に人にもっと来てもらえるのが理想だろう。
◆歩いていて気になったのは、不自然な地形もあるな~、ということ。へんな細尾根状のもの。これって植物園として手を入れたものでなければ、土塁?とか、ふと思ったのだが・・・。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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