人を幸せにする人になろう

吹屋をあとにして

◆結局は画像のようにまわったらしい。途中、元仲田邸というのを通過し、帰りに寄りたいと思ったが、西江邸のあと南に下り、成羽川沿いに西から高梁に戻ったので、行けなかった。
◆備中高梁のまちあるき。ひな人形を飾るイベントが行われていて、町屋の一画はおおにぎわい。駐車スペースに困るが、臨時駐車場が設けられていてなんとか駐車。まちあるき、そして昼飯ポイントをさがす。途中、いま寝屋川に住む娘夫婦のところを訪れて、今日、 車で高梁まで送ってもらったという、おじいさんとおばあさんんと話をする。お茶を飲みに来いという勢いだったが、丁重にお断りをして、にぎわいに突入。食べるところがあまりなく、イベント用に、仕出し料理屋が作ったお弁当を購入する。

西江家

◆ここは要予約だそうで入れませんでした。もっとも最後までベンガラ作りをやっていたのかな、御当主がベンガラ作りについて説明してくれるのだとか。再出撃が必要です。

吉岡銅山

◆そのあと西江家というのか、そこに向かおうと、まず途中の吉岡銅山跡に行く。明治になって三菱が手に入れ、1972年まで操業していたのだという。写真に写る構造物は、すべてカラミ?によるレンガです。
◆こういう鉱山跡。状態よく残していくのは難しいですね。手当てしきれない。なんとか現状維持策を図るくらいしか難しそうである。

広兼家住宅

◆行きに寄ったのだが、まだ空いてなかった。帰りに立ち寄る。建物の中には入れません。なにやらにぎやかに人が作業をしていると思ったら、ロケだそうです。昔、映画「八ツ墓村」でロケ地になったと書いてあったと思う。
◆ちなみに吹屋のベンガラは最高級品。ベンガラにも等級があって、用途はさまざまだが、最高級品は、伊万里・九谷の絵付け用とのこと。これがジャパンレッドとして、海外で日本の磁器が珍重されることになったのだとか。世界的に知られる時期のジャパンレッドを可能にしたのが吹屋のベンガラだそうです。ふ~ん。

ベンガラ館

◆そのあと買い物をする。ベンガラで染めたシャツや帽子などを購入。また町の南端に、イグサの暖簾を売っているところがあり、これにも心が動くも、家もないし、やめておく。
◆そのあとべんがら館。これが川沿いのローハ作り工場。しかしこれは、何か所かあったもの1箇所を利用して復元建物を建てて、ベンガラ作りを学習する施設としたもの。
◆そこに貼ってあった工程の絵。これはいい!。これないんですかと問うも、ないとのこと。吹屋にもガイドブックはなかった。
◆吹屋の店で文庫本が置いてあり購入した。たしかに詳しく書いてるが、この本は何かと問題がある。そうではなく、ここを訪れた人がベンガラをどうやって作るのか、買って帰りたくなる、よくできた小冊子がほしい!。

郷土館 記事№6600

◆郷土館となっている片山家の分家と本家がむかいあわせにあり、が公開施設になっている。まだ開館時間に早かったが、おばちゃんが招き入れてくれる。ベンガラの素材であるローハ、そして製品としてのベンガラも置いてある。
◆本家(重文)に行くと、奥の倉庫が展示施設になっていて、道具やら、帳簿などの古文書や、見本や、価格表などがならぶ。ベンガラ製造の模型展示もあってわかりやすい。ベンガラの作り方は、このあと本を買い、のちに読む。それをまとめればよいのだが、できていない。吹屋の銅山ではナントカ鉄がともない、これがベンガラの原料であるローハのもとになる。ローハ作りは川沿いの作業場で水車を動力として作られる。それが吹屋に持ち込まれ、精製作業が行われる。大きな工場は何軒かあり、そのひとつが片山家。屋号は胡屋(えびすや)。

吹屋小学校

◆吹屋は銅山としてにぎわい、江戸末期から明治にかけては弁柄生産で豊かになった町である。で、吹屋小学校は、現存する小学校では一番古いとどっかに書いてあったように気がするが・・・。ちょっとちゃうか。最後まで使われた小学校としては一番古い、というのだったような気がする。廃坑後、吹屋の街並みとともに、それを構成する重要な遺産となる。吹屋街道から少し東に入る。
◆展示施設になっていて10時オープンだが、まだ915分くらいだったか。見せてくれと頼むが、準備があるのでと断られる。まあ、そりゃそうだわな。南に駐車場があってそこから吹屋の町に入り、途中、小学校に足を運んだが、そのあと東側の道を抜け、町の北側に回り込み、北から南にまちあるき。

吹屋

◆翌日、吹屋をめざす。到着するも、まだ資料館やら店は開いていない。
◆ちなみに岡山道の賀陽から真西に高梁に入るところは、らせん道路で一気に下る。高さを下げる。で、クラシックカーが数珠つなぎで通っていき、沿線の人が道路に見に出てきている。調べると、土日の両日、吹屋小学校に15時に集合するイベントがあったらしい。土曜日にみかけたのは高梁から出ていくクラシックカーだったので、吹屋に集合して、そのあと、どこへ向かったのかは知らないが、それに出くわしたらしい。

高梁の中心街

◆町の北の山の上に城があり、そのふもとが城下町で、武家屋敷群が残っている。で、少し南には町屋があって雰囲気がいい。が、これは旧市街。近代以降、駅が高梁川沿いのやや南にでき、そこが明治以降、町場化する。南北に長く町ができ、しかし高度経済成長まで活気があったのは、南の駅を基点としてできてきた新市街だろう。
◆しかし、町一番のにぎわいを見せたのだろうアーケード街はこの通りのさびれようでした。で、いまは備中松山城が有名になり、城下や町場が残る北側が観光地化して活気があるように見える。
◆結局はホテルの前の飲み屋さん。ジビエ料理がよかった。

2025年4月6日の備中高梁のことを書きます

◆高梁というのは明治になって改めさせられた地名なんだそうです。松山ですね。ホテルはほぼ1か所のようです。部屋から八雲が到着した写真を挙げておこう。土曜日に高梁入りした時のもの。
◆そこからプラプラと食事場所を探しに出て、新しい駅前などを通り飲み屋街があるらしい通りをめざす。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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