忍者ブログ

人を幸せにする人になろう

でもう1枚は藤

◆まあこのシーズンは藤ですね。
PR

2025年4月29日研究室

◆11連休です。5月1日から5日は出かける。その前に仕事を。とはいえ、土・日・月とはや3日が過ぎる。今日は三田まで車でカミサンを送っていった。6:30には出れず、ほぼ7時。関学は、月・火(祝)・水、授業日だそうです。車で三田西に行くのは、土日の時くらいだが、その帰りの車中が、いろいろモノを考えるにはいい時間なんです。
◆三田に行くときは、新三田駅前のコメダ。今日は7時に出て1時間半、コメダ30分、帰り1時間で、研究室には10時着でした。
◆広葉樹の新緑も、はや葉が広がり緑が濃くなっています。このシーズンの画像を撮影したので、挙げておきます。1枚目はレンゲ。昔は田んぼに蓮華を植えて、窒素同化させていたんですよね。
◆2枚目は麦です。こういう写真、ノートPCの画面を変えて、授業時に、パワポ投影を始める前のわずかな時間であるが、季節を示すようにしています。

網野の前は亀岡泊

◆土曜日の網野の式典は、亀岡に前泊し、そこから出撃した。カミサンも行くというのだが、金曜日に東京出張があったので。なんとか亀岡23:45くらいには着けるという。なので、金曜日は教授会の日だったが、車で出勤し、22時に出て亀岡に。わりと早く着くが、ホテルは亀岡駅北口で、隣にパープルサンガのホーム?のごっついサッカー場が駅前にある。着いても、晩飯をコンビニで買おうとしても店がなく、再度、南口にまわり、うろうろしてファミマに行く。明智光秀の銅像が立っていました。
◆電車で来て、亀岡を歩いたことはないな。10年位前に見学会をやってお城に行ったことがあるが、大本教の本部になっている。そういう時も車だし。新鮮でした。いま地図を見ると、文化資料館は駅に近いロケーションなんですね。ここは役所勤めだった時、国分寺とか国府推定地の調査で亀岡出張があった際、1回か2回行っていると思う。いまうちの修士修了生が職員になっていると聞いている。写真は土曜日の朝。

2025年5月10日(土)大阪公大日本史学会

◆杉本で開催される最後の大会です。

是川先生が亡くなられた

◆1月3日にお亡くなりになったと聞いた。最後にお会いしたのは7、8年前か。久津川の渡り土手の調査を見に来ていただいた。その時のこともブログに書いたかもしれませんが、写真を再掲しておく。このあとも姫路で飲んだことがあったかもしれない。けっこう、高校の先輩のセッティングで、何年かごとに呑み会があったのだが、それもコロナでなくなり、一度、正月にでもお会いしにいかないと、と思っていたのですが。
◆播磨地域の古墳群の消長について、小野山先生の規制論をふまえて論じておられました。最近の資料の充実、各自治体の若手研究者の活躍で、是川先生の論文が引かれないのは残念です。古い段階では個々の古墳の年代もはっきりせず、修正されていくのは当然ではあるが、大局論としては生き続けるのではないか。

網野銚子山と陵山

◆昨日網野に行くと、1年前にわたしがドローンで撮影した1枚がガイダンス施設に掲げてあった。それと前に作成した佐紀陵山古墳との比較図が出ているのだが、これがいつ作ったものか覚えてないが、まあ現時点としては古いものになる。
◆報告書に書かせてもらう機会があり(2024年3月刊)、両者について厳密に比較した。いま読み返しても、けっこう徹底的にやっている。その結論は、網野については下段を薄くし、その長さを前方部前面をのばすことで陵山と同寸としている、というもの。なので単純な半裁図比較では、そうした関係は示せない。後円部であわせると、前方部が違うやないか、ということになる。なので報告書では半裁比較図を作らなかった。が、やはり世間的には半裁図がわかりやすいわけだ。こうした図を作っておけば、ガイダンス施設などに使ってもらえたのに、と反省。
◆遅ればせながら作ってみたものを挙げておきます。緑:陵山VS黄:網野銚子山。

坊の塚

◆あれこれ各地の前方後円墳の型判断をこれまでやってきたが、体系的に進めてはいない。いつ、何についてやったのか、まったく記録もしていない。やっていて忘れていることさえある。
◆ここいらで、ひとつひとつ資料化することをと考えている。これも終活です。全部やれないが、こないだ群馬についてやったデータから、整理作業をちょっとずつやりたいもの。で、朝子塚があまりにもきれいに宝来山と重なったので、坊の塚を再度挙げてみる。黄:坊の塚VS緑:宝来山です。
◆その上で、朝子塚と坊の塚を重ねたものも挙げておく。朝子塚の図面に黄:坊の塚のシルエットを重ねる。

2025年4月25日 南丹市立文化博物館

◆そのあと、美山町のデンケンに行くことも考えたが、旧園部町の資料館に行くことにする。園部垣内古墳の資料を前から見に行きたかったので。
◆園部ICで下りて、旧園部町の中心部へ。なんだがきれいな復元天守のようなものがあり、その横が博物館でした。310円。
◆園部藩の殿さまは小出3万石で、幕末まで存続。城は作れず陣屋だったが、実質的には城の縄張りがあり、許可されたのは維新政府になった際のドサクサらしい。そこで櫓などを建設したとあった。日本で最後に築城された城だとか。いまの復元はしかし、遺構とあんまり関係ないように感じる。
◆で、復元天守様のものはイベント会場らしく、その横が博物館でした。1998開館のようです。けっこうな展示面積があり、園部垣内古墳の資料を見ることができました。黒田古墳の資料もあります。垣内古墳は重要なので、調査前の時点でガタガタで根拠をもって復元できるようなものではなかったように思うが、それでも墳丘について、やってみる必要があるなと感じた。

2025年4月25日網野銚子山古墳整備記念式典

◆1年前には日が決まっており、予定に入れていたもの。朝11時から式があり、そのあと、踊りとか、ドローン上映とか、対談などがあり、14時ごろまで会場にいた。賑わっていました。昔はここで盆踊りをやっていたとか聞いたような気がします。復活できないのかと、会議でいったような気もする。文化財保存活用課のみなさん、頑張っていました。
◆総工費4億5800万円だそうです。

亀ノ瀬

◆川の中の丸い大きな石が「亀岩」です。

プラグイン

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索