人を幸せにする人になろう

3系統の水利の塗り分け

◆詳しくはまた整理してから、とは思います。現場中に作成した図と、現地を歩いて確認した水路 を記入したものの画像を出しておきます。
◆黄色のところが槇尾川からの取水による水がかり部で、青実線の太いやつが幹線で、下にたどっていけば黒鳥に行き着きます。ほか2つは、薄い黄緑と、薄い黄色で、それぞれ信太山の谷水によるもので、ため池を造っています。
◆7世紀の役人が、この幹線水路をどこにどう通すか考えたんだろうな、などと思いながら歩いておりました。まあ、基本的に地形を考えれば、自然に決まるプランではあります。槇尾川の遠い取水口から水をはるばる引くことで、伯太・池上が成り立っており、古代にさかのぼっても、上泉郷50戸はこれがないと成り立ちません。
【追記】狭山池や古市大溝はめちゃ有名ながら、国府河津井のみならず、昨年の和気にかかわる久保津土井も、今回の幹線水路も、信太の大野池の水路も、これらもみな7世紀の大開発として理解すべきものであると思う。むろん発掘などで年代を絞り込める事例にはならないわけだが・・・。伯太で言えば、幹線水路より低地部側にしか条里地割りが及ばないことは、両者がセットであることをはっきり示している。

伯太の合同調査終了

◆無事、終了しました。今回、伯太の水利と伯太藩陣屋跡を理解することを課題として臨みまし た。
◆水利は、初日最初の聞き取りで、水利組合の保管する絵図が出てきて、そこに3系統の水がかりが塗り分けてあり、一発で知りたいことがわかりました。和泉市史テーマ編の時、伯太の水はどこから来ているのか、グーグルアースのお世話になりながら調べ、槇尾川からだろうと考えていたのですが、基本は山の水だという意見もあり、原稿には書いていたものの、校正時に落としました。やはりそうだった!ということです。現地で水路をたどり、黒鳥の天神さんまでたどりました。前から、グーグルアースのビューで、天神さんの横に水を祭ったと思われる祠があり、水路がめぐっていて、これ意味深だ!、ここに行きたいと思っていたのですが、たどりつくことができました。
◆江戸時代の絵図で、国府河津井から枝分かれし、伯太方面にのびる水路を表現したものがあることも教えてもらいました。ただ、現地で確認したところでは、3本が枝分かれする国府河津井よりも、伯太からたどってきた水路は高さが高く、つながりが確認できませんでした。絵図を手がかりに、再度、訪問が必要です。ただやはり高さは気になります。確認できていない近世絵図に描かれた枝分かれ箇所から、ほんとうに引かれているのかもしれません(普通に考えればそうなのだが)。が、一方で、黒鳥の村中を通る天神社につながる水路も、たとえば光明池ができた時に付け替えられた、といった新しいもののようにも思えないのです。
◆江戸時代の絵図というのは、争論に際して?、黒鳥と府中の水路を中心に描かれたもので、伯太にのびる水路は付加物的な描写です。その辺もまた気になるところです。無関係な点は省略されている可能性はないのかと・・・。江戸時代の絵図を見せられれば、そうなんだろうとは思うのですが、それがすべてなんだろうかと・・・。さらに検討してみます。

あすから合同調査

◆いろんなことが片付いていませんが、明日から3日間、和泉市の調査に行ってきます。17回目で、今年は伯太町。伯太藩陣屋があったところです。1日目は水利、2日目は陣屋跡、といっても土塀くらいのようですが、見てこようと思います。
◆また眼鏡をなくし、前に使っていた100金の老眼鏡をかけていますが、あわないのか、かけているとツライです。目を悪くするのでしょうね。ないと全然、字が読めないし・・・、トホホ。

夏の出雲(15)出雲じゃなくて伯耆ですが

◆最後に妻木晩田。天気が悪く、弓ヶ浜がず~と見えるというわけにはいかなかったが。県が発掘 して整備している事務所棟の東北側の、復元建物や覆い屋施設を初めてじっくりと見る。前に家族と来たときは、真夏でとにかく暑く「はよ帰ろ」と言われ引き返した。
◆広大な史跡地で、イベントや体験学習に力を入れているが、考古学を学ぶわれわれからすると、展示をもうすこし充実できないものかと思う。ちょっと考えると、遺物の問題があるんだろうと予想は付く(県ではないということ)。それでも、やはり現地で、遺跡を見るとともに、妻木晩田の出土資料をたっぷりと見たいものである。なんとかならないものだろうか。
◆これにて2日の旅程はすべて終了。淀江から帰途につく。帰りは福崎で晩飯を食べたのだったかな、思い出せないが。こうして、駆け足での2日間が終わる。天王寺で解散する。

夏の出雲(14)和鋼博物館

◆昔、安来の方に案内いただき、とても面白かったことを記憶している。再訪してみた。前の時 は、詳しい方に、かんな流しからはじめ、ケラのこと、玉鋼のこととか、説明をしてもらった印象が強かったんだろうと思う。半分は産業史ではあるが、しかしハガネがどのようにえられるのか、一通りのことを学ぶことができる博物館である。

夏の出雲(13)次に造山

◆文化庁にいた時、ちょうど島根大が大成古墳を掘っていて、渡辺先生に説明いただいた。塩津山 から続く荒島丘陵でも、やや西北に造山古墳群は位置する。ここは、しばらく前に史跡整備をしており、麓の駐車場に大きな説明看板があるが、ややくたびれている。
◆暑い中、山をあがるのはしんどいが、上がると中海を見下ろす絶景が広がった。大成はやや離れている。造山1号、3号などがひとかたまりであり、ひととおりめぐった。
◆荒島丘陵一帯を、季節のいいときに、ひとめぐりするのは楽しいだろう。地点がいくつかに分かれているのを、どのように結びつけていくか、ということも課題か。そして出雲市のように、荒島丘陵の弥生墓や古墳群が学習できるような博物館ができると良いのに、と思う。

夏の出雲(12)安来、まず塩津山

◆なにかと島根には文化庁時代、縁があり、出雲市もそうだったが、安来市の仕事にもかかわっ た。荒島丘陵の古墳を見て回った記憶がある。まず塩津山に行く。高速道路の調査で塩津山丘陵が調査され、1号墳はオープンカットで壊されるはずだったが、トンネルで残したという(記憶が定かでありませんでした)。両側には四隅があり、四隅の突出部がなくなり方墳へ転じる過程が知られたものである。

(ネットから)荒島古墳群は島根県東端の安来市に所在し、中海に面する荒島丘陵上に位置する。既指定の造山古墳(1号墳)は古墳時代前期の大型方墳であるが、荒島丘陵には、これ以外にも弥生時代後期から古墳時代にかけての墳墓や古墳が集中するため、これらを追加指定し 「荒島古墳群」と名称を変更しようとするものである。
 荒島古墳群として指定しようとするのは、単独で所在する大成古墳、造山支群4基、塩津山支 群8基である。大成古墳は明治44年に開墾中に発見され、竪穴式石室から三角縁神獣鏡や素環頭大刀ほかが出土し、前期の大型方墳として著名である。その西側の造山支群は、既指定の1号墳のほか、同様の大型方墳である3号墳等計4基からなる。また東側の塩津山支群は、弥生時代後期の大型の四隅突出型墳丘墓で ある6号・10号墓、四隅墓の名残をとどめた古墳時代前期の方墳である1号墳等からなる。

◆トンネルの脇に説明看板があり、そこから登り口がある。そして整備された1号墳を見る。四隅の名残を残しつつ突出部がなくなり長方形墳となったもの。土器などのレプリカも配置してある。真夏で草ぼうぼう、ちょっと両側の弥生墓を探検に行く気にはなれずに引き返す。なお、仲仙寺や宮山の墳墓群は、今回パスした。

夏の出雲(11)風土記の丘

◆高速で松江に引き返し、風土記の丘に行く。岡田山1号墳を見てから資料館に。資料館の展示は リニューアルし、一新されていました。古い時代から、この地域の資料を 配置し、そして国府へと導かれます。企画展もやっており、なんだっけか、動物だったか・・・。
◆今回は弥生の遺跡をメインにしているので、そのあと風土記の丘一帯の古代の整備地をまわる余裕がなく、国庁あたりをながめて先を急ぐ。

夏の出雲(10)再び出雲市へ

◆翌日、中海の島伝いの道を選び、松江の脇に出て、ガソリンを補充し、再び出雲市へ。やっぱり 馬鹿でしたね。2階に実によくできた最新の展示施設がありました。中央 には、3号墓の模型、副葬品や土器などもホンモノです。西谷の現地脇で、実物資料を見ることができるわけです。
◆また西谷のみでなく、上塩冶築山、未盗掘の中村1号墳の副葬品など、一級の古墳時代後期の副葬品群がずらりとならんでいるではありませんか。県立の歴史博物館とともに、出雲に行けば訪れるべき施設ができあがっている。
◆そのあと、大念寺古墳にも行く。ここに入るのは初めてです。前も来たが、その時は連絡しておかないと鍵をあけてくれなかったと思います。が、写真がない・・・、ああ。

夏の出雲(9)民宿「まつや」さん

◆そこから松江市街を抜けて、中海北岸を通り、境港の民宿にむかう。院生がセッティングして くれた宿で、みな料理に大満足!。これは呑みですよね。ビールを繰り返し 頼み、酒代の+アルファもけっこうなものでしたが、とてもいい宿でした。
◆夜、翌日のことを考える。出雲弥生の森の図録を見ていると、どう考えても、この楽しみにしていた出雲市の新施設について、見るべき展示を見逃したとの確信するに至りました。最初にいちばん西に行き、ゴールは妻木晩田遺跡とし、東にむかうアラアラの計画だったが、明日もう一度、高速で出雲に向かうことに心を決める。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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