人を幸せにする人になろう

平城宮跡資料館に行く

◆そのあと、平城の資料館をのぞく。リニューアルしたのは2010年というから、しばらく経つ  が、奈文研に所用で行くことがあっても、のぞいたことはなかった。ずい ぶんと内装も変わり、古めかしさが払拭された。宮殿内の暮らしぶりの復元が大きく加わり、土器や瓦や木製品や金属などの、従来からの遺物の展示もアカ抜けた感じになっている。
もうちょっと何か書くべきだが、あまり丁寧に見ていない。今度、もっときっちりと見なおしてみよう。
◆奥のところに科学的研究のコーナーに加え、企画展示室ができ、動物の展示をやっていた。なかなか手作り感があって、よかった。写真に挙げた、段ボールを人形にくりぬいて、そこに説明をぶらさげている。文字はポップ調。どなたが、どう準備しているのか 、また聞いてみよう。
◆中央部の、見に来た子供たちが書き込んで木に貼るようになっているのかな?、うちの博物館実習の文学部60周年展の企画話の中でも、同じような参加型のツリーの話が出ていたことを思い出す。

条里制・古代都市研究会の委員会に行く

◆委員になったんですが、本日、はじめて委員会におそるおそる出る。会場は奈文研。朝起きたら9時前で車で行き、なんとかすべりこむ。知らない人の方がむろん多い。内容は大会のことや、現地見学会のことなど。事務局はたいへんそうですね。会員は360人ほどのようです。
◆どこまでお役に立てるかはわからないが、やれることをやります。大会2日目の事例報告の候補の話があったが、全国的な情報収集はたいへんでしょう。わたしも身近な世界しか知りません。来年3月でなく、その先の候補として大園遺跡の話をした。今度10月はじめに和泉市史の会議で、担当から研究報告があるので楽しみにしているが、8世紀の井戸やトイレや園地などから、いま和泉監ちゃうか、との意見が出つつある。和泉国の成立はおそく、8世紀後半で、そのあと、いまの和泉府中に国府が移るのでは、といったストーリーが構想されている。
◆ひとまず、来年3月の大会報告をやらんといかん。なにも新しいことをやるつもりはないのだが、考古の側の事例を、確かなことが言えるように、いますこしちゃんと調べることくらいはやろうかと。

実はイギリスに行ってました

◆8月末の1週間、ケンブリッジで開催される学会でカミさんが発表するのに、またついて行き、イギリスにおりました。初めてです。ロンドンでは、大英博、自然史博、科学史博などを見てきました(ビクトリア&アルバート博はやめました)。それとストーンヘンジ。ケンブリッジでも、まち歩きのほか、博物館をまわりました。オックスフォードのアシュモリアンミュージアムも行きたかったのですが、無理でした。
◆いろいろネタはあり、記事も書いているのですが、この間、あるいは8月中、いろんなことをやっていなかったりして、各方面に迷惑をかけていることもあり、取り返すようモロモロを処理しております。行く直前の3日間で書いていた原稿がちゃんと保存されていなかったこともショックで・・・。まあ、これはあまりひきずってはいませんが、けっこう力を入れた原稿だったもので。
◆おいおい、また道中の報告をします。

考古学(補遺)

◆考古学は遺跡による歴史学だと、考古学研究会大会のあとにまた書いた。当時から、異論のあるムキもあろうし、自分自身、確かに「遺跡による歴史学」だけでない違う世界もあるな~とは思っている。いわゆる文化史的研究である(モノ自身を極める世界もあるのだろうが)。
◆地域を越えた特定の文化現象の追求、これは考古学(だけではないが)のひとつ得意とする分野としてあると認めないわけにはいかないだろう。そうした広域にわたる、そして時間軸も長いのだろうが、そうした大きな展開、そこではモノの精緻な観察にもとづく具体的な関係の裏付けを与えうる考古学が大いに役に立つであろう。人を引きつける魅力もある。

集団的自衛権

◆こないだ、MBS報道するラジオで、安倍内閣の集団的自衛権に関する有識者会議のメンバーである大阪大学の先生、容認派と、外務省の官僚、不必要派、の2人を登場させ討論する内容の回があった。ぜんぜん話がかみ合わない様子や、中立的な立場で捌く毎日新聞の解説者(アナウンサーとは別の)と阪大の先生がケンカして終わる、という結末を含め、とても興味深く聞いた。
◆それを聞いて、いまの議論はいったいナヘンにあるのか、なにも自分はわかっていないと思った。いまは放送の中身を紹介する。阪大の先生は、まあ抑止力を言うわけです。集団的自衛権を認めることで、簡単に武力が行使できない、攻撃されなくなる、したがって実際には攻撃参加することもなくなるのだ、と。一方で外務官僚は、そういうのは日米安保で十分。簡単に日本本土が攻撃されることはありえない。いまの集団的自衛権というのは、アメリカが敵対的ということで、例えばアルカイダによるテロがあったと、でアフガンに派兵するとか、大量破壊兵器があるというのでイラクを攻撃したと、そういう作戦に日本も参加させるための議論なんだ、という主張。阪大の先生は、外務官僚の意見に対し、そんなのは、アメリカが攻撃され、それに対する自衛という性格でないから、そもそも集団的自衛権を行使して日本が参加することになるような事案でない、と。外務官僚は、しかし2007年の集団的自衛権に関する検討で(ペーパーがあるらしい)、4つの類型を上げて問題を整理しており、そのうちのひとつはイラク戦争などの場合ということが検討対象になっているんだ、と。互いに勉強せえ、とののしりあう。
◆勉強していないので、コメントの仕様もない。極論と極論のような気もするが・・・、それはわからない。ともかく一方が楽観的な先生、一方がカッカしてまくしたてるという印象で、専門家であろうご両人の、いま何を議論しているかについての理解の差の大きさに唖然とする。

薄口醤油と濃口醤油

◆去年の秋に買った湯浅の濃口醤油と、こないだ龍野で買った薄口醤油です。IMG_2849.jpg
 

本町界隈など

◆いま、まちなみが結構好きである。町屋の建物はなかなかいいものである。昔はほとんど関心がなかった。いつからだろうか4ec0040e.jpgと考えると、岸和田古城跡の保存問題のときに、城下町を歩いてからかもしれないな~、と思いながら歩いた。写真の本屋さんなんて、実にいい。立ち寄ればよかった・・・。むろん、本町界隈はまちなみ保存に取り組んでおり、いいのだが、それだけでなく、そちこちに木造の町屋や近代建築はじめ、味わい深い建物が残っている。そういうのを見つけては写真を撮る。
 

岸和田城天守閣から

◆展望台からの続き。五風荘(いまはがんこ寿司)、そして岸高、そのグラ51f30f43.jpgウンド、市役所。なかなか・・・。
◆天守閣の展示。1階が常設展で、岡部家寄贈の品々、2階は企画展で古文書、なかなか面白かった(足早にしか見ていないが)。3階は昭和29年作成の岸和田城模型がある。
◆岸和田は城下町。本町界隈もいいし、だんじりだけではない。歴史のある由緒あるまちとして、市民も誇りに思っているだろう。摩湯山も久米田古墳群も、久米田池もあり、歴史的な素材に事欠かない。天守閣のスペースでの企画展はよかったが、しかしやはり岸和田市の歴史が通観できるような展示施設がやはり欲しい。いまただちに難しいとしても、岸和田城天守閣を最大限利用し、岸和田城の展示についても工夫できるだろうし、スペースを使って考古資料なども含めて、岸和田市の歴史資料館に近い展示をすることも、できる範囲でやれるんではないか。建物の構造、そして現状の展示ケースの使い勝手の問題はあるだろうが。また天守閣だけでなく、浪切ホールその他の公共施設など、使える場所を模索することも。そしてやはりマンパワーがいるが。
◆城跡そのもののホンモノ性、再建とはい76debc6e.jpgえ天守閣は迫力はあり、石垣と堀の風景もよい。しかし天守閣にはどれくらいの有料入館者がいるのだろうか。堀端を散歩し、また通り抜け、緑の多い二の丸には立ち寄っても、本丸に入っていく人は少ないのではないか。一方で、庭や石碑やら、後世の作り物も少なくない。本丸や二の丸は、城としての遺構に即したものを積み上げていくべきだろう。天守閣を無料開放すれば、天気が良ければ展望台に登って外を眺める人もいるだろうし、むろん展示が面白ければ繰り返し訪ねてくれるだろう。総合的に魅力アップを考えて欲しい。例えば、先のかつての岸和田城全体模型も、新たに作り、屋外に置いてはどうだろうか。岸和田城って、こんなにデカイということを知って欲しい。城や城下の古写真の部屋があったり、近代の繊維産業の歴史をまとめた部屋とか、岸和田の人たちに自分たちの町の歩み来たった歴史を確認できる展示ができないものか(スペースの問題は決定的にあるが)。じいちゃんやばあちゃんが、孫を連れて語りに行く場となってほしい。そういう素材はいっぱいある。などなど、を考えていた。写真は本丸の屋外パネル(岸和田古城図)。これは展示スペースがないなかで、やれることとして取り組んだものだろう。
◆先にふれたような、岸和田城の魅力を高める総合的なプランを、市民とともに智恵を出し合うような検討がなされることを願う。保存管理計画策定はいい機会であり、府史跡地内のこと、またその管理方針の問題だけでなく、岸和田城跡全体の活用(むろん保存対策もだが)についても一定盛り込むべきだろう。そして、管理計画策定後、魅力アップのための積極策について本格的に議論するステップに移行してはどうだろうか。
 

2013年8月20日、岸和田

◆文化財保護審議会に出る。市指定の物件と岸和田城の保存管理計画。説明を聞き0d18c1c3.jpgながら、3月の発言を思い出していた。
◆午後、積川神社の御輿の見学があり、行きたかったのだが、火曜日は玉3のトレースの作業日で、任せきりでもよかったのだが、頼みたい仕事もあり引き返す。その前に、岸和田城の現状を見ておくことにした。
◆まず二の丸。きれいな公園と施設、これが新聞に書かれ問題になったものか・・・。要するにレストランじゃないかということが理解できた。言いたいことはあるが、委員をやっており、部外者的立場で評論家的発言をすることは適当でない。きちんと整理して、委員として委員会の場で発言していかなければならない。
◆天守閣に登る。前に古城の保存問題の時、そこそこ岸和田城の勉強をした。その時は、天守閣でなく手前の櫓?に展示abb9052e.jpg施設があったのだが(一度だけ見た記憶がある)、それはなくなった。それで天守閣の展示も変わったのかと思うが、ちゃんと知らない。そもそも300円出して天守閣に登ったことがなかったのである・・・。
◆3階の展望台からの眺めはすこぶるよかった。天気良く、淡路島・明石大橋・六甲山・神戸の町が、かなり近く見えた。
 

翌日は川で釣りなど

◆14日の夜、ペルセウス座流星群の流れ星もまだ見えるだろうと、日が変わる前くらいの時間帯に外へ。都会に比べると驚くe998cdfb.jpgほど暗い。が、村のなかなので、真っ暗ではない。それでも天の川はなんとか見える。流れ星も5aa4c3701.jpgつくらいは見れた。やはり夏の大三角の一等星は結構明るい。アルタイルとベガとデネブである。これ、相模原博物館の全天周映画に子供を連れていっていて憶えた。
◆翌日は川で魚取り。釣り竿と網。子らは網で小さい魚を取る。まあ、一生懸命やってます。こういうとき、やりたいだけやらしてやることが大事です。釣りはもっぱら大人。カエリのない針で、時々、逃げられるが、ほとんど入れ食い状態です。餌はセンムシ、という川の石にいる気持ち悪いワーム。象の鼻のようなものがあり、へばりついてくるが、それを取り出して針に付ける。
◆午後、高槻市で会議があるので10時にこっちは引き揚げる。終了後、大学に行き、22時まで仕事をして戻ってきた。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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