人を幸せにする人になろう

夏の出雲(8)田和山遺跡

◆松江市田和山遺跡は、今回の主目的のひとつ。
◆日も長く、博物館資料館をとにかく17時までつっこむことを優先し、田和山遺跡現地はそのあとでという作戦。8時前後だったんでしょう。
◆いや~感 激しました。この遺跡の保存問題をめぐっては・・・。とにかく、松江市はよく残してくれたと思います。なかなか性格づけが難しい遺跡のようですが、多重の環濠がめぐる姿が見事に復元され、立地も無論いいし、見応えのある遺跡です。なぜ後期に続かないのか、答えが見つかるでしょうか。修論で取り組む院生がおり、一緒に考えていきたいと思います。

夏の出雲(7)大庭鶏塚

◆風土記の丘、これは明日まわるが、大庭鶏塚だけ立ち寄る。山代二子塚は場所だけを示した。

夏の出雲(6)玉造資料館

◆松江にむかう。途中、玉作資料館に立ち寄る。何回か来たような気がする。最初は、1984年のやはり考古研サークル旅行。その次もなにか記憶があり、畑で碧玉のかけらを拾った記憶があるのだが・・・。玉作遺跡の史跡の追加指定の関係で訪れたことがある。発掘現場でなく、その成果の報告会だったと記憶する。時代は8世紀頃だったか。
◆閉館間近だったが、親切に対応していただき、よければこれをと資料もいただく。2ヶ月が経ち、記憶も定かではないが、ちょっと展示がくたびれている様子が目立ったように思う。たぶん、1984年に最初に見たときと、あんまり変わっていないんだろうと思う。そう簡単にリニューアルというわけにはいかないのだろうが、県博で玉作の最新パネルなどが作られており、そういうのを提供してもらうなり、やりようはあるのではと思う。出雲大社脇の県博はそりゃロケーションはバツグンだろうが、しかし玉造温泉という地名にもなっている出雲の玉作のメッカ、その現地にある資料館も頑張って欲しい。長い調査歴があり、これまでにわかった、玉作遺跡のおおよその全容がわかるようにしてくれると、とてもいいものになると思うのだが。

夏の出雲(5)加茂岩倉遺跡

 ◆荒神谷からさらに東、加茂岩倉遺跡に行く。手前の所に駐車場があり、谷をさかのぼってい く。やがて、右手に尾根の張り出しがあり、そうそう、こんなところだったと思い出す。階段を上がり、埋納坑の脇に立つ。けっこう暑かったような。そこから山の斜面に等高線に沿って木製の歩道が通してあり、埋納坑ポイントを横から眺められるようにしてある。
◆そしてその先にガイダンス施設がある。こちらは加茂町の施設で、職員さんが1人おり、冷たいお茶のサービス。そして時間があるなら、ビデオを見るよう誘われ、画面を覗く。1997年?だったか、発見時の映像を編集したもの。佐原さんのお元気な姿が見える。ぱっと見たとき、オレかなと思う後ろ姿もあったが、加茂岩倉遺跡を担当することはなかったので、違うだろう。職員さんが、発見当時の加茂町サイドの対応の昔話をしてくれる。
◆ここでも、時折にしか来ないであろう見学者に対応するため(いや、われわれの前に1人いたが)、OBか再雇用かなと思うが加茂町の職員が配置されていることに驚くとともに、博物館施設のある荒神谷遺跡のとの違いを、感じざるをえなかった。

夏の出雲(4)荒神谷遺跡

◆荒神谷に来たのは、加茂岩倉の調査を見学した時以来だろう。実際の埋納坑の上に復元された模 型は、かなりくたびれてきている。まあ抜け殻ですし。レプリカを置くしかないですよね。
◆谷の入り口に、県の立派な施設ができていました。2005年開館で、運営はNPO法人だそうです。特展《古事記の装い》をやっていて、関東の人物埴輪などがけっこう集めてありました。
◆奧には食堂もあり、ここで遅い昼食を取りました。出雲そば!。
◆よくできた博物館で、受付の方の対応もよかった。しかし、銅剣をはじめとするホンモノは古代出雲歴史博物館にある。いたしかたないのだが。とはいえ、学芸員を置き、企画展も開催している立派な博物館だ。

夏の出雲(3)上塩冶築山

◆築山古墳それに大念寺古墳という著名な後期古墳がある。そこで築山古墳の横穴式石室を見に行く。大きい道に面し、駐車場も整備され、懐中電灯も置いてあった。横穴式石室って、遺跡を見に来たという感じになるのか、受けがいい。石室や石棺が想像以上に大きく立派ということだが、ここでもみな感激してくれる。築山にきたのは、たぶん大学2年生の考古研の旅行以来だろう。その時はしかし、石室に入れたのかな?、確かな記憶がありません。
◆とにかく石室はでかく、石棺もでかく・・・。石室も実に美しいですね。十分、写真が撮れていないのは残念です。

夏の出雲(2)出雲弥生の森博物館

◆正式にはなんて言うんだっけ(出雲弥生の森博物館)。新たにできたもので、楽しみにしていた。むかし四隅現地には何度か行ったが、その南側に立派な博物館ができている(写真なし)。と ころが、なぜか、2階に展示室があるのだが、企画展示室と思い込み、それを見るつもりがなかったので、1階をながめると、とくに展示施設はなく、なんだこりゃと誤解し、遺跡現地に赴く。
◆丘を上がっていき史跡公園へ。3号墓には埋葬施設の表示がなされている。この発掘報告書は、まだ・・・なんでしょうね。隣に2号墓(写真)、史跡整備に際して新たに出雲市が調査し、復元した四隅である。墳丘北側が大きく削られているため、調査の上、なかに入れるような空間を作り復元し、3号墓をモデルに四隅墓の埋葬施設を復元的に示す。こういうの、埼玉の鉄砲山古墳が最初なんでしょうか。
◆そのあと、すこし離れたところの、神社になっている9号墓にも寄りました。いちばん新しい時期ではなかったか。
【追記】図録を見ると、かなり掘っているんですね。四隅の突出部もばっちりと検出されている。2000年代のことなんだろう。

夏の出雲(1)島根県立古代出雲歴史博物館

◆7月31日と8月1日にかけて出雲をまわる。2日間を十分確保するため、前泊とし、夕方、市大を出る。蒜山で晩飯を食べ、出雲市のホテ ルに入る。院生2、学部生2、プラス1、総勢6人。夜、ささやかな呑み会。
◆この2日間、前線が山陰に停滞し、石見など大雨があった頃だったが、小雨には少し降られながらも、ほぼ影響なくやり過ごせた。翌朝、まず出雲大社。イオスキッスは、喜界島以来不調で、出雲でも撮りたい写真が撮れていないものが多くある。出雲大社は、驚くほど観光客が多いとも聞いていたが、朝早くでもあり、そうでもなかった。
◆そのあと島根県立古代出雲歴史博物館。3度目?くらいだが、学生はほぼ初めてなので、ゆっくりと見る。出雲大社、風土記の世界、荒神谷と加茂岩倉、古墳、最初の部屋だけでもたっぷりと時間がかかる。次の部屋はなんだっけ、四隅に玉作、タタラ、銀山、ネタには事欠かず、勉強になる。が、このあたりの途中から、1日の行程を考え、やや時間を気にし出す。特展の神楽はパス。

それでもってコナベ

◆奈良に出かけるときから、コナベに寄ってみようと思っていた。宮内庁の護岸整備で、フトン籠 と植生土嚢などで、痛んでいる部分の保護と残存部とのすりあわせをやる方式になって、しばらく経つだろう。その様子を見に行ったわけである。満々と水をたたえ、前に事前調査をやった時、水を引いてどのくらい下が露呈していたのか、けっこうな崖面だったように思うが、きれいに整備され水も多く、なかなか想像はつかない。写真で言えば、フトン籠の基礎になっている礫面がどのくらいなんだろうと。安定が悪いようなところには押さえがある。
◆一度、施工している時期に見に行く必要がある。工事を監視するわけではない。200m級の大型墳の護岸の保護がいかに大変なことなのか、そいういうことも知っておく必要があるだろう。佐紀でいえば、ウワナベも同様で、こちらの方が規模が大きく、さらに大がかりなことになろう。

松井さんとばったりと

◆で、資料館の出口を出たところで、松井さんとばったり。コーヒーでも飲んでいくか、と誘われ、行きます、と。資料館の向かいにある、動物や年輪や探査などの研究棟に入るのは初めてだ。客員研究員の方もおられ、まあ平日も休日もなく働いてはるわけだ。
◆お2人から、いろんな本やコピーやらをいただき、感激である。なんでも中国で、世界の十大遺跡・十大発見というのを選定する会議があり、その話を聞いたりする。何十人もの世界の専門家を選定委員にして、何日か宿泊させ大がかりな会場で、世界の遺跡の価値付けを中国がやるという、なんとも中国らしい企画である。
◆そういえば、奈文研庁舎が建て替えられるという記事がすこし前にあった。その話もすこし。年内に仮設のものに移り、解体工事もはじまるとのこと。病院として建てられたのいつかは 知らないが、いよいよ建て替えである。とはいえ敷地面積も限られ、建坪率とか、まあ特別史跡の横ですし、高さの制限もあるだろうし、なかなか十分な容量あ るものはできないみたいです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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