人を幸せにする人になろう

211集会で宮本憲一の講演を聞く(2)

◆病没とともに実現しなかったことも多い。しかし、大阪は日本の最先端であった。
◆しかし、戦後、占領の時期、その後の高度経済成長時代、すべて国主導。明治期もそうだったが、戦後も急速な現bf4f1cb7.JPG代化を国が主導して国土を開発する中で、大阪市は(あるいは大阪府は)、関一のように、大阪に必要なもの、ふさわしいものを、自分たちが考え実施することをしなかったと。どこでもそうかもしれないが。そしてすべては首都圏がリードする。阪神圏は、政治的にはともかく経済的な中心であったが、すべて首都圏に負けないように後を追ったと。宮本さんの言葉でいえば、「大阪の財界と大阪市・大阪府は、大阪ひいては近畿の独自の発展戦略を検討せず、時代に乗り遅れまいとして、東京の二番煎じの戦略を進めた」と。しかも、まあだいたいが失敗・・・
◆京浜工業地帯に加え京葉工業地帯の開発に対し、大阪府は企業局を作り、堺泉北の開発を進め、堺沖に埋め立て地を造成し工場を誘致する。東京オリンピックに対し、万博。成田に対して関空。つくばに対して京阪奈学研都市。TDLに対するUSJもそうだろう。堺の工場も原料を輸入して製品を輸出するもので、大阪の工場に一次加工品を供給し製品化するといった、大阪の産業を活性化させるものにはならなかったという。
◆梅棹忠夫の言葉がよい。大阪は経済だけじゃない学術文化の中心でもあったが、いまや「ゲスの町」になりさがったと。これ1970年代前半の発言という紹介だったと思う。もうひとつ、この梅棹の発言は、新幹線も通り、どんどん東京に吸収されていく、大阪は学術文化の拠点をつくるべし、というのが趣旨だった。万博跡地こそ、学研都市として、学術・文化の中枢をおくべきだったんでしょうね。で、逆に大阪市域から4年生大学を分散させた、と。このへんの実情は知らないが。

211集会で宮本憲一氏の講演を聞く(1)

◆1965~1993年まで大阪市大商学部におられたんですね。でそのあと立命に出たと。なんで出たんでしょうね、出してf1fda28a.JPGしまったんでしょうね。それはともかく、まずは関一の話から。関一の話もあいまいな知識しかなかったが。
◆近代大阪市の市政は、近代化がもたらす富にたかる乱脈な市政だったのだそうだ。それをまともにしたのが、会津出身の池上四郎市長だったと。その池上が社会政策学会に人を求め、ただちに名前があがったのが関一で、ラブコールの末、大阪市助役となる。関は一橋の一流学者で、三羽ガラスの一人だったが、一橋を帝大に昇格させる運動の中心にもいたが、二度にわたって実現せず、自分の理論を大阪で実践する道を選んだ、と。
◆その後、大阪市長になり、1935年にチフスで病没するまで20年間にわたって市長を務め、当時、西欧で最先端の議論であった都市計画を日本にはじめてもちこむ。そのなかで、近代都市のめざすは「暮らしやすい都市」であるとし、労働者の住環境改善のための市営住宅の設置、福祉政策などを手がけたという。御堂筋や地下鉄だけではないわけだ。近代都市は市民が主人公であり、市の行政の使命はそこにあると。

柏原市長選ほか

◆2月3日、朝、いきなり選挙運動のガナリタテが始まる。国分駅前。娘がウルサイと起きてくる。たぶん8時からならOKな7179f46f.JPGんだろう。10日投開票の市長選と府議補選(市議選は投票なし)。聞いていると、ヒガシコク901acf6e.JPGバルという名前が聞こえ、例の声が聞こえてきた。ベランダに出てびっくり、なにやら駅前に人が集まっているではないか。そうこうしているうちに、聞いたことのある声に変わった。維新の会代表のひとりである。ナマ橋下をまたベランダに見に行った。
◆上からウルサイと言ってやりたいところである。カミサンは拡声器を禁止せよ、とも。9日も、朝からまたヒガシコクバルがやってきていた。両日とも、別に耳をそばだてて聞くこともなく、家を出る。ニュースを見ていると、維新のなんだっけか、勉強会の第1期修了生の会が、この日、大阪のホテルで開かれたらしい。9日、朝、大学にむかうため集会をやっている脇を通りつつ、これだけのタレントを呼んできて、またその動員力を見たら、パワーが違う、なにかやってくれそうだ、と普通はそうなってしまうことだろう、必然だわなと感じていた。
◆が、市から配布されたものとか、平日の候補者の国分駅前の発言を聞いていると、こうします、とは書かれていても、どうやってそれを実現するかといったことは、どこにも書かれていないし言いもしない。絶叫するだけ。新市長になったヤツのがいちばんサイテー。唖然としたのは、例えば教育環境(大阪ナンバー1)とか、いろんな項目を挙げてナンバー1と書くが、どうやってという以前に、具体的に何をするのかさえ書いていない。マイクを握ってもイシン・イシンとしか言わない。なんでその項目が大事と自分は考えるのか、ということを語れ!。柏原市をどう考えてこうしたい、といったことは何も考えていない。

2012年12月27日第5回ねごろ保存管理計画策定の委員会

◆当日の委員の意見もふまえて修正されていくであろうが、この日示された策定書案から状況を。まず、保存管理計画の策定範囲は、旧境内地全体とすると謳う。そして①史a204ad40.JPG跡地②史跡指定予定地(黄色)③「史跡指定地周縁ゾーン」(青)④その他の旧境内地(破線)、に区分する(地図の通り)。いまさらですが、③は蓮華谷川以東とし、その西側の南北尾根ははずされている。一乗閣移転の話がなければ組み込まれたかも・・・。
◆③史跡の周縁ゾーン(民有地がほとんど)、いまの史跡の「周縁」なので正確な表現。だが、ねごろの本体だ。そこの説明。「追加指定の必要性は高いが現段階では予定されていない地区」、「遺構・遺物が確認あるいは考慮される地区」。役人らしい表現ながら、これまで発掘して、ほぼ密に遺構が集中する子院中心部である。「考慮される」どころではない。
◆そこの保存管理案は次のよう。「長期的な史跡の追加指定も視野に入れながら、保全に努めていく必要がある。民有地については、調査して遺構が出た場合は、記録保存していくことを原則とし・・・」。ここのところは、あまりの表現にクレームがつき、訂正されそうである。だが、それが本音。視野に入れる・・・、本来は、この青は「ぜんぶ史跡をめざす。やれるところから段階的に史跡指定を実現させるべきゾーン」と言うべきもの。視野に入れても、民有地について基本的にやりたくないわけだ。できるだけ景観は維持していきましょう、ができる範囲でね、ということ。いちおう、土地を手放したいとか、同意がえられれば追加指定する、とも。別のところでは、史跡のバッファゾーンだって。本体やろ。
◆そして旧境内地全体を取り扱うと謳い、④として「その他の旧境内地」を設定するものの、④についての保存管理計画の文章はまだ書かれていない。白紙。③でさえ上のようなこと。④の地区は、本来、保存管理計画に入れたくなかったのに、委員が入れろと言ったから、いちおう入れてはいるものの、どうするか考えてもいないし議論もしていない、ということだろう。「ああ~、どう書くかな~」と思案中なのだろう。
◆管理運営組織を作るのだそうである。③の記録保存は書き直されるとのことだが、長期にわたると言いつつも、一方で高齢化で空き家等が増えていくだろうとの見通しも示す。長期にわたるから保全に努め、できるところから、という書き方が間違っているとは言えないが、「長期にわたっても史跡の追加指定を図る地区」と明記する合意ができないところが、この会議の限界である。実際には、どちらにせよ(いまの書き方でも、史跡にする地区と書いても)、もしかしたら同じような推移をたどり、史跡地がだんだんと増えていくことになるかもしれない(祈り、ですね)。が、これだけ掘ってきて、いろんなものが検出されている、伽藍よりもむしろ、根来住人の活動の舞台そのものである③を、「史跡を目指す」と打ち出せないのである(湯屋を含め)。史跡地として不可欠とは考えない、と言う意味でもある。根来とは何だったのか。
【追記】そろそろ、いや既に?尾根の造成工事も始まる、始まっている、のだろう。

オレオレブログ

◆このブログ、オレオレブログという名前が付けられているそうな。なるほどね~、面白い!。詐欺まがいのブログではありませんよ、念のため。わたしくしめ、オレというのは、普段はあんまり使いませんねん。ブログを書くときに、わたしは、というのも何か引っかかり、かといってワイというのも加古川弁だし(ほんまか?)。ワシは使いません。これからはアッシにしましょうか。

首がまわらなくなってきたぞ

◆来週は卒論・修論試問と大学院入試、大歴の仕事も、○○の仕事も、あれもこれも・・・なかなかしんどくなってきた。対応c3451557.JPGが遅くなりつつあり、各方面、申し訳ありません。卒業生・修士修了生、それぞれの成果をちゃんと72944d83.jpg読むことが、本務として何より重要。物理的に時間が必要。これに定期試験とその採点、成績を出すのが完全に重なるのは、なんとかしてほしいもんだ。
◆チラシ2つ。

旧大阪中央郵便局跡地の現状

◆今日、淡路から大阪市役所に向かうのに、梅田に出るので、郵便局に行ってみた。この間、昨年の秋だったでしょうか、cbc86f75.JPG更地にした跡地利用の記事と、裁判が、結局は、原告の不適格(だったと思う)という判断の記事は見ていた。
◆まあ、こんなんですわ。ただのイベント広場。大阪駅への近道の通路になるんやろな。舞台の裏のコンクリートはよくわからんが、ここに玄関の部分が保存してあるのでしょうか。むろんこれは仮の姿。オリエンタルランドが撤退し、あと、別案の手があがることなく、更地にして、そりゃ一等地なので、開発を容易にし、うまい話があればたちどころにそれに乗り、土地は手放さず、郵政株式会社は借地料がコンスタントに入ってくるものにするのだろう。ごっついビルを一緒に建て、テナント料を稼ぐという路線もまだ期待しているのだろうか。いまの庁舎は大阪駅前ビルに入っているわけだが、そっちはそっちで手狭でないのだろうか。旧庁舎を改装して、使い続けてもらうのが、たぶんいちばんよかったのだろうが。
 

大阪いちび、そして近現代史教育施設

◆昨日29日の夕刊に、天王寺のイチビを閉じて、中之島へ移転、予定している近代美術館と一緒にする案が記事になっ05ae285b.JPGていた。そして、そこを近現代史教育施設にもってくると。なるほど、そうきたか。よくできた案だと思う。あまり反対はしない。近現代史教育施設の、施設の問題がこれでクリアされたとすると、いよいよ中身の話が具体化していくのだろうか(近現代史教育施設を難波宮にもってくる案は消えたのだろう)。
◆それとピース。月曜日、ピースについて、いろいろと考えることとなったが、いまはやめとこう。

「公的固定資産形成」経費

◆けっこうためになった。まず、いわゆる公共事業と呼ばれる道路等の土木工事のみならず、学校建設などを含む統計015e3332.JPGがあるらしい。それと建設国債と赤字国債。名前は知っていても、なにがどう違うのか、ちゃんと知っていなかったので。それにしても、政府は原則借金をしてはならない、という財政法があるのですね。まあ、理念規定なのだろうが、誰も守ろうとはしていないわけだ。国会議員はウソをつく上に、法律があっても守らないわけだ。国家公務員の退職金は減らし、各地に混乱をもたらしても、自分たちの使い放題の通信費などを削ることは、見送り見送り、っと。
◆ちなみに、この日の記事で、沖縄の全首長の国会請願に対し、顔を出した首相の「基地負担の軽減に頑張りたい」という空虚な言葉に対し、「言葉だけで68年間来ている」という反発。全首長がそろっての請願も、「そんなこといったって日米同盟重視だし無理やン」という態度が大きく転換することはないだろう。なんら具体的に軽減措置を進める意志なしと見限ったとき、どうなるのでしょうか。一揆がおこるのではないでしょうか。

道頓堀の芝居小屋図など

◆おおっと、関大か。やられたな、という感じである。こういうもんが古書店にあることを見つけるのは、そういう世界とは無6ce1cf09.JPG縁なのでわからないが、タイミングもあるのでしょうね。が、その前に、注意して、いろんな目録をながめたりする努力の上のことだろう。むろん、持ち込みかもしれないが。関大の大阪都市遺産研究センター、いろいろ活動して、いい仕事をしている。刊行物もたくさん出ている。完全に大阪市大は出遅れてますね。
◆おなじ夕刊に、17世紀の鉄眼という黄檗宗の僧侶が、大蔵経を普及させるために印刷にかける、すなわちそれだけの版木を彫るという大事業をやったことが紹介されていた。いまも宇治の宝蔵院というところに保管され、いまなお刷られているのだとか。いやはや。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索