人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
国会議員の女性の比率【記事№1600】
◆2月28日の新聞から。韓国は比例代表の名簿で女性50%以上が義務化、選挙区でも30%が努力義務とされているそ
うだ。チリの前大統領の言葉はよい。「女性と男性の経験は違うから、民主主義をうまく機
能させるには、女性を政界に送ることが必要。特別措置なしでは時間がかかりすぎる。その措置をつくるのは政治の意志だ」。高市早苗でなく野田聖子の意見と同じですね。さて、強い日本を取り戻すらしい首相は、どう考えるだろうか。
◆わたしは公職・公務員はすべて半々とはじめから定員を打てばいいと思っている。男女が同じ選挙区で争う必要はないと思っている。ひとつの選挙区で、例えば男1と女1枠があり、2票投じればよい。公務員試験でも、採用を、男○人、女○人、同数で設定する。そこまでやれば、世界一だろう。むろん、人の生き方はそれぞれ。ただし機会は均等にある。逆差別でもない、という世界。
◆わたしは公職・公務員はすべて半々とはじめから定員を打てばいいと思っている。男女が同じ選挙区で争う必要はないと思っている。ひとつの選挙区で、例えば男1と女1枠があり、2票投じればよい。公務員試験でも、採用を、男○人、女○人、同数で設定する。そこまでやれば、世界一だろう。むろん、人の生き方はそれぞれ。ただし機会は均等にある。逆差別でもない、という世界。
◆やったうえで、調整が必要なら、よりうまくいくよう調整すればいい。やるかやらないか、だ。
弁護士って、そんなに高尚?
◆ある弁護士がのたまわったそうである。わたしが直接聞いたわけではないが。ふつうの人で年収5000万円、そこそこの者だと1億円、ひとにぎりのヤツは10億円だそうです。ああ、そうですか・・・。アホらし!。むろん、優良な著名な、大企業などを顧客とする弁護士事務所のことではあろうが・・・。
◆世の中、間違ってますよね。そんなヤツからは8割ほど所得税をいただけばよいのである。
◆世の中、間違ってますよね。そんなヤツからは8割ほど所得税をいただけばよいのである。
どんな命もそれなりの時間と空間をもっている。愛とはそれを尊重すること。
◆深い意味はありません。わたしが記憶にとどめ、いつも思い起こすべき言葉のようです。占いです。
◆その日暮らしを続けています。むこう数日をなんとか時間を案分して切り抜けている。今日(1月30日)は、13時まで会議をしたあと、淡路へでかけ、そのあと淀屋橋の橋下城に行き、16:30、いま戻ってきました。これから、ある小文を書き上げようと思います。その前に、このところの新聞なので、いろいろネタがあり、ブログを書いてみようかと思います。
【追記】あかん、ヒストリア西宮特集号のことなどをやっていたら、もう21時か。
◆その日暮らしを続けています。むこう数日をなんとか時間を案分して切り抜けている。今日(1月30日)は、13時まで会議をしたあと、淡路へでかけ、そのあと淀屋橋の橋下城に行き、16:30、いま戻ってきました。これから、ある小文を書き上げようと思います。その前に、このところの新聞なので、いろいろネタがあり、ブログを書いてみようかと思います。
【追記】あかん、ヒストリア西宮特集号のことなどをやっていたら、もう21時か。
1月26日、寒いです
◆昨日からの寒波、老体にはこたえます。今日は夕方にひとつ用が入ってしまいましたが、日中、できるだけのことをやり
たいと思います。授業は来週火曜日までで試験期間に入る。今週もいろいろとありました。昨日の教授会の評議員選挙はなかなか興味深い風景でした。カミさんは、昨日からの1泊2日で飛鳥で学会を開いております。
◆柔らか目の写真を。いろいろ立体パズルをあるとき買ったことがありました。そのひとつが右。梅干しがカップに押し込まれているのですが、これ入っていたものを取り出して以来、組み上がったことはなかったのですが、正月に真琴が見事に組み上げてくれました。
◆五十戸から里への表記変更は681-683年頃なんですって。『和泉郡の条里』段階で、ちゃんと確認していませんでした。
◆柔らか目の写真を。いろいろ立体パズルをあるとき買ったことがありました。そのひとつが右。梅干しがカップに押し込まれているのですが、これ入っていたものを取り出して以来、組み上がったことはなかったのですが、正月に真琴が見事に組み上げてくれました。
◆五十戸から里への表記変更は681-683年頃なんですって。『和泉郡の条里』段階で、ちゃんと確認していませんでした。
聚楽第の石垣の話
◆京都府埋文センターで正規職員1名の募集があります!。
◆昨年、新聞に京都府警の建て替えにともなう調査で、聚楽第の石垣が見つかったとの記事が出た。2回目の発表の時は、保存という方針も記事になっていた。よかったです。聞くところ、現地説明会には2300人が来たそうで、私市丸山の2000人を越え、センター始まって以来最大の見学者であったという。城としては徹底的に破脚されたようだが、下部が残存していたわけだ。
◆昨年、新聞に京都府警の建て替えにともなう調査で、聚楽第の石垣が見つかったとの記事が出た。2回目の発表の時は、保存という方針も記事になっていた。よかったです。聞くところ、現地説明会には2300人が来たそうで、私市丸山の2000人を越え、センター始まって以来最大の見学者であったという。城としては徹底的に破脚されたようだが、下部が残存していたわけだ。
須恵器
◆火曜日を乗り切り(博物館概論も来週あと1回まで来た)、水曜日、3限が終わり、いろいろやることはあったが、遊んでしまう。ちょっと須恵器の勉強。いまやってる場合かというところだが、息抜きです。本格的には来年度。今年卒業し、来年、大学院に進学する学生は7・8世紀のことをやっているが、できれば、一緒に7世紀代の須恵器をあちこち実測にまわろうかと考えている。科研もそれに引っかけたネタだが、採択されようがされまいが、やることに変わりない。佐藤隆氏に胸張って、ぜんぶ見ました、といえるように資料を見たいものである。
◆今日、まあちょっと空いた時間で、少しかじったくらいですが。TG232もそうですが、500年前後も、人によってぜんぜん違いますね。白石さんはMT15というし(それはないと思うが)、TK47という意見もあれば、佐藤さんのはTK23という意見に近いのかな。とにかく23と47は同一段階とする。MT85とTK43も同一段階とする。口径の幅の重なりからということのようだが、いまのオレには、変化していく須恵器の杯Hの何をもって区切るのがよいのか、2347にしても8543にしても、なにも言えないが。菱田さんの飛鳥0というのも・・・。
◆今城塚が定点としてひとつあることは大きい。が、500年前後を決める定点はなかなか難しい。高井田山はいったいいつなんだ。武烈紀の高田の岡というのはやはり気になるし。そのへんは、やはり安村さんの、石室と須恵器の整合性の議論がもっとも正当なんだろうが、実年代となると、475の漢城陥落を手がかりにできるとしても、なかなか決めがたいわな~。が、6世紀前半に横穴式石室が普及していくと、そういう動きとMT15というのは基本的に連動しているように思う。継体が6世紀初頭にはオシサカにいるとしても、百済系の横穴式石室が定まり築造されていくのがMT15で(死没して埋葬されていくのがTK10以降が中心か)、それは6世紀ただちにでなく、ちょっと経ってからくらいで考えるのが適当かな、くらいには思っているが。あとは前とのバランスですね。450年はTK216の時代と思っとりますが。
◆今日、まあちょっと空いた時間で、少しかじったくらいですが。TG232もそうですが、500年前後も、人によってぜんぜん違いますね。白石さんはMT15というし(それはないと思うが)、TK47という意見もあれば、佐藤さんのはTK23という意見に近いのかな。とにかく23と47は同一段階とする。MT85とTK43も同一段階とする。口径の幅の重なりからということのようだが、いまのオレには、変化していく須恵器の杯Hの何をもって区切るのがよいのか、2347にしても8543にしても、なにも言えないが。菱田さんの飛鳥0というのも・・・。
◆今城塚が定点としてひとつあることは大きい。が、500年前後を決める定点はなかなか難しい。高井田山はいったいいつなんだ。武烈紀の高田の岡というのはやはり気になるし。そのへんは、やはり安村さんの、石室と須恵器の整合性の議論がもっとも正当なんだろうが、実年代となると、475の漢城陥落を手がかりにできるとしても、なかなか決めがたいわな~。が、6世紀前半に横穴式石室が普及していくと、そういう動きとMT15というのは基本的に連動しているように思う。継体が6世紀初頭にはオシサカにいるとしても、百済系の横穴式石室が定まり築造されていくのがMT15で(死没して埋葬されていくのがTK10以降が中心か)、それは6世紀ただちにでなく、ちょっと経ってからくらいで考えるのが適当かな、くらいには思っているが。あとは前とのバランスですね。450年はTK216の時代と思っとりますが。
イサンが終わりトンイはじまる
◆カミサンと娘に馬鹿にされながら長くイサンを見てきたが、こないだ終わった。ウィキ
正祖(チョンジョ、1752年-1800年)は李氏朝鮮の第22代国王。祖父は英祖、養父は孝章世子、妃は金時默の娘孝懿王后。子女に純祖らがある。大韓帝国期に正祖宣皇帝の称号を送られた。
◆ハングルを作った世宗とともに、朝鮮時代の王として人気があるそうだ。水原の城を造った。なかなか政策的にはすぐれたことをやったようだが、49歳で死に、ウィキでは改革は「無に帰した」とある。子の次代王(純祖)は幼く、ドラマのイサンで繰り返しノロン派の悪玉でありながら死をのがれてきた貞純王后(前代の祖父英祖の皇后)が摂政となり、さらには純祖の皇后の出身である安東金氏の勢道政治へと至る、のだそうである。時は19世紀、天保くらいの話である。
◆そしてなんとトンイというのは、英祖の母だったんだ。身分の低い母親から生まれたということはイサンを見ているときに、どこかで知ったが、それがトンイだったわけだ。同じような話ばっかりで、よう見るわ、と言われながらも、第1話をこないだの日曜日に見ました。
正祖(チョンジョ、1752年-1800年)は李氏朝鮮の第22代国王。祖父は英祖、養父は孝章世子、妃は金時默の娘孝懿王后。子女に純祖らがある。大韓帝国期に正祖宣皇帝の称号を送られた。
◆ハングルを作った世宗とともに、朝鮮時代の王として人気があるそうだ。水原の城を造った。なかなか政策的にはすぐれたことをやったようだが、49歳で死に、ウィキでは改革は「無に帰した」とある。子の次代王(純祖)は幼く、ドラマのイサンで繰り返しノロン派の悪玉でありながら死をのがれてきた貞純王后(前代の祖父英祖の皇后)が摂政となり、さらには純祖の皇后の出身である安東金氏の勢道政治へと至る、のだそうである。時は19世紀、天保くらいの話である。
◆そしてなんとトンイというのは、英祖の母だったんだ。身分の低い母親から生まれたということはイサンを見ているときに、どこかで知ったが、それがトンイだったわけだ。同じような話ばっかりで、よう見るわ、と言われながらも、第1話をこないだの日曜日に見ました。
日本人はなにを考えてきたか
◆正月深夜に、1年前の上記のシリーズ番組の再放送を、日に2本ずつやっており、1~4を見た。1回目が福沢諭吉と中江兆民だったか、うつらうつらして、あまり明瞭ではないが、ともに西欧を学んだが、途中からめざす方向が分かれていったのだと、そんな話だったように思う。福沢諭吉が西欧に追い越せ追いつけ?で、中江兆民が日本的なるものを大事にする方向?ということか。いや、わかりません。第2話は自由民権運動で、五日市憲法はじめ、日本の各地で勉強会がもたれ、当時のヨーロッパの憲法なども手に入れ研究し、日本の憲法案が、あまた作られていたのだ、ということが紹介されていた。
◆第3話が、田中正造と南方熊楠だったか、そして第4話は堺利彦と幸徳秋水だった。いずれも面白かった。それ以降は見ていないが。それで日記とか書簡とか、いろいろ保存されているものだ。タレントなどの訪問者を立て、資料を訪ねていく。そこでいろんな資料館のオクラが写り、そこから資料が引き出され、それを読んでいったりする。博物館概論でも、ちょこっと紹介した。田中正造の話では、結局、銅採掘の操業は維持、汚染を取り除く施設を作り、汚染のひどいところを広大な遊水池みたいなものを作り、立ち退きをさせられ、その反対運動をやるも、次第に農家も国策に応じてゆく。彼らは北海道にわたったという。
◆そういえば、そのあと、たまたま大本教の回をちらと見た。今調べると、大正篇の第5回から第8回、そして昭和篇の第9回~第12回で、残る放送は第12回の1月27日のみとなっているようです。
◆第3話が、田中正造と南方熊楠だったか、そして第4話は堺利彦と幸徳秋水だった。いずれも面白かった。それ以降は見ていないが。それで日記とか書簡とか、いろいろ保存されているものだ。タレントなどの訪問者を立て、資料を訪ねていく。そこでいろんな資料館のオクラが写り、そこから資料が引き出され、それを読んでいったりする。博物館概論でも、ちょこっと紹介した。田中正造の話では、結局、銅採掘の操業は維持、汚染を取り除く施設を作り、汚染のひどいところを広大な遊水池みたいなものを作り、立ち退きをさせられ、その反対運動をやるも、次第に農家も国策に応じてゆく。彼らは北海道にわたったという。
◆そういえば、そのあと、たまたま大本教の回をちらと見た。今調べると、大正篇の第5回から第8回、そして昭和篇の第9回~第12回で、残る放送は第12回の1月27日のみとなっているようです。
日本の会議は弁護人のいない裁判
◆表題のような話があるそうである。本でも出てるんですかね。これもカミさんネタ。こんど資料を送ったる、ということだっ
たが、まだ未着。だが、本人は思い当たるのだそうである。できたことを評価することなく、できなかったことを叩く、と。できなかったことを叩かれない自由、次につなげるような議論がなされない、とシミジミと。ある組織のことを言っているらしい。なかなか要請通りのことはうまく運ばないと、しかしプロジェクトの会議は開かれ、そこではここまではできているということが評価されることなく、なんでできないか、という非難の場で、その先へつなげる前向きな議論はないと。そういうことがわかっているから、チームは、その会議を乗り切るための会議を開くと。査問の場、っちゅうことでしょうか。
◆そういう雰囲気だと、労力を実際の研究なりにそそぐべきなのだが、その会議を乗り越えるための、かわすための作戦会議などを開く馬鹿らしさを、カミさんは言っているようである。ちょっとピントきませんが、そういうこともあるんですかね。いずれにしても、やる気をそぐようなのはいかんでしょうね。進んだところが評価され、面白いから進めてほしいといった、前に進める議論がなされ、そういう雰囲気が、参加している個人なり、別のチームにも刺激を与え、全体がやる気になるような、そういう会議がいいですね。いろんな場面で心がけたいものです。
【追記】カミさんから画像が送られてきたのでアップします。モトネタ不明ですが・・・。
◆そういう雰囲気だと、労力を実際の研究なりにそそぐべきなのだが、その会議を乗り越えるための、かわすための作戦会議などを開く馬鹿らしさを、カミさんは言っているようである。ちょっとピントきませんが、そういうこともあるんですかね。いずれにしても、やる気をそぐようなのはいかんでしょうね。進んだところが評価され、面白いから進めてほしいといった、前に進める議論がなされ、そういう雰囲気が、参加している個人なり、別のチームにも刺激を与え、全体がやる気になるような、そういう会議がいいですね。いろんな場面で心がけたいものです。
【追記】カミさんから画像が送られてきたのでアップします。モトネタ不明ですが・・・。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。