人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2025年4月25日 南丹市立文化博物館
◆そのあと、美山町のデンケンに行くことも考えたが、旧園部町の資料
館に行くことにする。園部垣内古墳の資料を前から見に行きたかったので。
◆園部ICで下りて、旧園部町の中心部へ。なんだがきれいな復元天守のようなものがあり、その横が博物館でした。310円。
◆園部藩の殿さまは小出3万石で、幕末まで存続。城は作れず陣屋だったが、実質的には城の縄張りがあり、許可されたのは維新政府になった際のドサクサらしい。そこで櫓などを建設したとあった。日本で最後に築城された城だとか。いまの復元はしかし、遺構とあんまり関係ないように感じる。
◆で、復元天守様のものはイベント会場らしく、その横が博物館でした。1998開館のようです。けっこうな展示面積があり、園部垣内古墳の資料を見ることができました。黒田古墳の資料もあります。垣内古墳は重要なので、調査前の時点でガタガタで根拠をもって復元できるようなものではなかったように思うが、それでも墳丘について、やってみる必要があるなと感じた。
◆園部ICで下りて、旧園部町の中心部へ。なんだがきれいな復元天守のようなものがあり、その横が博物館でした。310円。
◆園部藩の殿さまは小出3万石で、幕末まで存続。城は作れず陣屋だったが、実質的には城の縄張りがあり、許可されたのは維新政府になった際のドサクサらしい。そこで櫓などを建設したとあった。日本で最後に築城された城だとか。いまの復元はしかし、遺構とあんまり関係ないように感じる。
◆で、復元天守様のものはイベント会場らしく、その横が博物館でした。1998開館のようです。けっこうな展示面積があり、園部垣内古墳の資料を見ることができました。黒田古墳の資料もあります。垣内古墳は重要なので、調査前の時点でガタガタで根拠をもって復元できるようなものではなかったように思うが、それでも墳丘について、やってみる必要があるなと感じた。
平安宮式鬼瓦
◆黒川古文化研究所の紀要に、U氏が松平定信収集の瓦について解説をしており、そのなかで鬼瓦にも言及し、わたしの小文が引かれていた。マイナーなものに書いたので、引用していただくとうれしいです。
最後に松山城
◆歴史民俗資料館があり、見学するが省略。まあモノが
集められていました。見ごたえあり。隣の山田方谷記念館はパス(大河ドラマをめざしている)。武家屋敷もスルーして城へ。巡回バスでフイゴ峠へ。そこからが山登り。このところ、山を登ると肺がしんどい。
◆奥の櫓が特別公開されていて、行くと文化財職員と思われる方がおられ説明していただいた。昭和の大修理で瓦を学生が山へ運んだのだとか。で、本丸の北にさらに山が続いていて、石垣石や木材は山で調達できると。下から運ぶのが大変だったのは瓦だろう、と。そうなんや!。そうだわな~、石を運び上げるのは考えてみればとんでもないことだ。
◆15時くらいに現地を出たのかな。以上です。
◆奥の櫓が特別公開されていて、行くと文化財職員と思われる方がおられ説明していただいた。昭和の大修理で瓦を学生が山へ運んだのだとか。で、本丸の北にさらに山が続いていて、石垣石や木材は山で調達できると。下から運ぶのが大変だったのは瓦だろう、と。そうなんや!。そうだわな~、石を運び上げるのは考えてみればとんでもないことだ。
◆15時くらいに現地を出たのかな。以上です。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(07/21)
(07/21)
(07/21)
(07/21)
(07/18)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。