人を幸せにする人になろう

2025年5月23日 朝から

◆カミサンが佐渡に行くのに7時の伊丹発新潟便というので、5時に家を出て車で送る。まあ30分強で到着した。折り返して杉本町に向かい、6時頃には着く。門は閉まっているので、外のコインパーキングに入れ、研究室着は6:15頃だったか。
◆数日前に、測量図など、もろもろのものを片付けていた。整理されていない状況に絶望感が漂う。それら散らかっているものを片付ける。神明野・市庭関係、取っておいても使わないのだが、一生懸命作業した検討用作業図類はただちには捨てがたい。家にもって帰ることにするか(どこに置くねん!)。たつの市から出てきた三角縁神獣鏡の図は、たつの資料館にもっていこう。相生市の2基の測量原図類は、もうすぐ報告書が刊行されるので、それにあわせて全部もっていこう。和泉市の2基も。和泉市黒石古墳の墳丘測量図も出てきたので、これも。
◆雪野山の鏡の写真等がある。が、保存がよくなく、濡らして印画紙がくっついていて、これは捨てるしかない。記憶から脱落していたが、完形ではないので、大きく焼いてもらった写真を、破片ごとに切り話し貼り合わせて完形状態を復元し、それを下図に原図を作成したようだ。くっついているのを剥がし、メモ写真を撮る。同笵鏡の笵傷を記入した原版は残す。東博で吉島2面ほか、浜北に赤門上の鏡も見に行ったんでしょうね、記憶が定かでない。

2025年8月の引っ越し

◆什器や器材等は引っ越し業者にお任せ。必要なら養生や梱包もする。これに図書は業者。それ以外の書類(まあこれが多い)やら、こまごまとした物品、これらはわれわれが梱包する。これを8月14日までに済ませなければならない。段ボールとプチプチが配布されたところである。
◆私の分、研究室・考古学実習室・博物館実習室・301収蔵庫・経研棟423器材庫の引っ越しは、8月15日梱包、18日移動、19日開梱と決まった。21日(水)に業者との打ち合わせがあった。
◆8月15日は業者が図書を梱包。遺物コンテナなどの詰め物はどうするのかな。いま展示ケースにならんでいるものは、こっちでとは思っているが。もう少し詰めるべきですね。
◆18日に搬出。什器・機材等の運び出し。で、1030以降は、森之宮で待機する者も必要とのこと。院生の配置を考えないといけない。この日は、モノの運び込みと、大きなものは配置まで。
◆19日に図書等の業者梱包のものの開梱。いずれも朝9時スタート。
◆18日19日で、一気に落ち着くところまで持ち込みたいものですね。

福井県あわらし埋文職員の公募

◆学芸員になった卒業生から連絡をもらいましたのでお伝えします。

膳所茶臼山

◆宝来山型ではないか。重ねてみると、けっこういけそう。

2025年5月11日(日)伊勢伊賀見学会

◆松坂駅10時集合。宝塚古墳群のはにわ館。そのあと現地。亀山市能褒野王塚、亀山市博。御墓山古墳、石山古墳。以上。JR高井田18:30帰着。石山古墳は勉強になった。
◆御墓山古墳の説明看板が新しくなり、科研で作った図をつかってくれていました。

猪苗代湖

◆帰りの新幹線の時間を気にしながら、若松ICから高速でなく、猪苗代湖をめざす。見ました。で、車の渋滞もあり、猪苗代ICから磐越道に乗り、17時前に郡山着。新大阪21:29帰着。

鶴ヶ城

◆GWで、お城まつりが行われ、臨時駐車場が車だらけ。結局、県博に車を停めて、二ノ丸側から入る。大手は北の出丸のようである。いきなりけっこうな石垣。20mはあるだろうか。そして裾部の反りがあまりなく直立気味で、なかなかの高石垣である。
◆天守閣は2年前にリニューアルしたとのこと。最上階の展望台は人だかりで、1周するのをあきらめる。前日見た県博のプロジェクションマッピングがわかりやすかった。東側の谷筋からの扇状地に立地し、外堀?に囲まれた家臣屋敷で固められた一画は、東西にやや長い菱形で、これがほぼ東西。プロジェクションマッピングでは、地形と城の築城、城下町の構造がまず1話。続いて戊辰戦争時の官軍との戦闘の経過を示すものが第2話となっている。
◆殿さまは入れ替わるが、近世城郭を最初に作ったのは蒲生氏郷という。奥州仕置で、秀吉は会津には入っていないようだ。

さざえ堂

◆そこから「さざえ堂」。飯盛山は白虎隊自刃の地。麓から少し上がったところに墓地がある。その横には「さざえ堂」もあり、大観光地。白虎隊の墓地にみなさん行くんですね。さざえ堂との相乗効果も大きいように思われる。白虎隊墓地へのエスカレータもある(250円)。沿道にはお土産物屋、そして粟饅頭屋。資料館もあってのぞいてもいいのだが、やめた。さざえ堂。もしかすると37年前に来ているのかもしれないが、記憶がはっきりしない。
◆「さざえ堂」のあと、白虎隊墓地のある平場にも足をのばし、帰りに粟饅頭を買う。

会津大塚山古墳

◆帰りは、まだ全通していないため無料の有料道路で若松に戻る。まずは大塚山古墳。測量調査が1988年なので37年ぶり。霊園になっており、小高い丘の、古墳のある頂上付近まで車でたどりつける。会津盆地を見下ろせる丘陵西側に古墳があり、東側斜面が霊園。なので東側側面から古墳に上がることになる。鞍部に上がり、後円部へ。そこから前方部へ再び降り、前方部西側面を前面側へ。
◆前方部前面をまわって帰る。測量をした時は、かなり伐採をしたのでしょう、スケスケだった。その写真も今確認できたが、画像はまたのちほど。

喜多方

◆そこから地道を(若松からの自動車専用道路もできている)、会津坂下経由で喜多方へ。亀ケ森古墳には立ち寄るべきだった。
◆で、喜多方。こっちは蔵が有名なんだとか。男は40歳までに蔵を立てて一人前なんだそうです。でデンケンになっているのは南町の通り。そこをカーナビに入れて到達したのだが、観光駐車場が整備されていない。うろうろして市役所通りにある観光案内所のある駐車場に入れる。マップをもらうと蔵が残るポイントが落 としてあり、東側の「ふれあい通り」(中心街)というところにたくさんの蔵マークがある。そっちに足をのばす。
◆びっくりするのはラーメン屋にならぶ客の列。おそるべきことです。この日は歩行者天国になっていて、屋台がいっぱい出て、イベントも行われている。そこをぶらぶらしながら、ふと入った店のおばちゃんと話をして、勧められた近くのラーメン屋に入る。太いちじれ麺の中華そばである。「ふれあい通り」は賑わっており、こっちも蔵の多い昭和を感じさせる街並みだが、デンケンにはなっていない。まあラーメンですわ。
◆最初に通った南町がデンケンであることを確認し、再びそちらへ。酒蔵があり、その隣の酒屋に入っておばちゃんと話をする。試飲となり、四合瓶を一本購入。こっちも大きな通りに拡幅され、車が走っていて、デンケンとはなっているが、雰囲気があまり感じられない。観光客の多くは「ふれあい通り」界隈のラーメン屋が目的で、町あるきではなさそうだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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