人を幸せにする人になろう

2012年5月1日、松岳山

◆前方部側面【道上・藤林・京極】昨日の続きでB4の紙。P48に据えて下げてゆく。苦労はするだろうが道上に任せ92d2aa26.jpgる。15時以降、2人帰ったため、前方部前面班を閉じて、岸本・道上・京極で、残る部分に着手。どうしてもシャドウ部が生じるので、チビミラーで新規に東側にP49を打ち、そこから参道までほぼ取り終える。最後に、山車小屋通路沿いの部分の取りこぼしがあるため、明日、その部分をやっつけるために、チビミラーで、通路沿いにP51を打って終了(18:00)。
◆前方部前面【岸本・小西】昨日の続きでA3の紙。P50に据え、50mから上、52mまでを測量士、茶臼塚の部分とのつなぎもなんとかやっつける。それからA2の紙に切り替え、前方部北稜線沿いの既測量部との間(南)を、標高51.25mから48.25mまで入れる。可能な場所は入れたが、土地境界部に伐採した竹が幅広に横たわっており、その範囲は測量不可能である。さて、ここはどうしたもんだべ。
◆前方部南側面については、明日は、新規杭で山車小屋通路沿いをやっつけるとともに、そのコンクリート通路の屈曲部当たりもやっつけてしまおう。それから、わずかだが新規のC4の紙を用意し、参道までのわずかな三角部も埋めてしまおう。そのあとは、前方部北隅角に飛び、P35から測量できる範囲を追加してしまいたい。明日、そこまでやれれば、後円部に移ることにしよう。
 

2012年4月30日、松岳山

◆今日は6人2チーム。高島さんが欠席との連絡が入り、急遽、木建さんにお願いする。
◆前方部南側面【道上・木建・城戸】。P44にて、山車小屋通路西側の畑地を少し入れ、前方部西側面の続きを少し追加。P46に移動し、参道までの前方部南側面裾部を測量する。一部では参道まで達する。裾部は参道側からも測量が可能なので、無理しないところまで下ろすように指示。だいたい標高46mくらいまで下がる。さらにP48に移動し、南側面でも稜線に近い西側を入れる。大きな窪みまでを測量。いますこしP48で測量可能だが、竹の密集地でシャドウ部ができており、参道までを完遂するには、もう1本、杭を打つ必要がある。いずれにしても樹木と改変の激しさで、やりにく部分が残り、また蚊との戦いでもある。
◆前方部前面西側【岸本・藤林・小西】まずA4の紙を新たに作り、P42から、茶臼塚の南側の畑地を入れていく。50m~46.5mまで入れて完了とする。そのあとA3の紙の未測量部に移る。畑地の北側は、荒蕪地で笹が生えており、そこに1本杭を打てれば、ほぼ未測量部の測量が可能となるので、新たにP50を打設し、座標・水準を求めマシンを据える。西側をどこまで測量するかであるが、標高46.5m以上とし、レベルに問題がないことを確認した上で、下から上げていくことにする。北側は竹藪だが、突っ込めばなんとかなり、茶臼塚の延長部分の既測量部から、図面の北端まで未測量部の等高線を走らせることができる。最終的に標高50mまで上げる。
◆午後の15時くらいから小雨が落ちてきて、笹が濡れズボンが濡れる。なおやろうと思えばやれ、前方部南側面についても暗いが樹木で雨の影響はなくなんとかなるが、無理をせず17時で終了とする。河内国分でブランシェタカギに入り、ケーキセットを食べて解散。

4月29日

◆天気良し、が、人おらず、今日は測量はなし。大学で、『市大日本史』のみならず、4月中に片付かなかったこと、博物館実習関係や大歴の現地見学検討会のことや、その他モロモロすべてやっつけた。まあ、仕事をしたぞ。それだけのことです。

大阪中央郵便局の解体工事はじまる

◆4月19日、大阪中央郵便局に足場が組まれ、取壊し工事が始まっているとのことです。守る会から、郵政にハガキを送る活動を展開したいと協力依頼がありました。
 〒100-8798  東京都千代田区霞が関一丁目3番2号
 日本郵政株式会社 不動産企画部長 似内志郎殿

◆ご協力いただける方、どうぞ宜しくお願いします。

日本郵政株式会社殿
 新緑の候,ご清栄のこととお喜び申し上げます。
                           
 私たちはかねてより旧大阪中欧郵便局庁舎の解体に反対して参りました。
 既に,ご承知のことなので,多くは申しませんが、大阪中央郵便局庁舎は、逓信省の吉田鉄郎氏の設計によるモダニズム建築で、戦前の1939年(昭和14)に建てられた名建築です。海外からも高く評価され、有名なブルーノ・タウトも注目しています。
 
 さて,このたび、庁舎を解体するとのことですが、今後の計画は決まっていないと聞いています。何故,計画も無い頃から有用な建物を壊すのですか。若い人達にこの建物の活用を考えてもらったところ、様々な活用案が出てきました。
 
 欧米では,このような歴史的建造物を活用し、景観を継承しています。破壊し新しい建物を建てるだけが都市再生ではありません。
 
 今なら間に合います。計画を変更し、活用を検討するよう出来ないものでしょうか。郵政会社の先進性が認識され、民営化した組織です。ここ一番の再考をされんことを期待いたします。
 
 そこで、再度、建物内部の公開をお願いいたします。郵政会社の賢明なご判断と実行を期待します。将来に残る方法を検討し大阪の町が豊かになるためなら私たちは労をいといません。
 郵政会社の英断を期待します。
                          敬具
 平成24年4月  日


松岳山2012年4月28日

◆【岸本・高島・道上・松本】マシンをP44にセットし、新規でP45からP48の杭を打つ。結局、P47はレベル移動まで済ませ495e320d.jpgたが、P44からは視準できず。あと1点打てば、ほぼ参道までの部分をカバーできるはずだ。
◆P44にて、まず、前方部南側面のB3の紙の取りこぼしの三角地帯を測量する。ここまでで昼。
◆午後も、P44から、新たにB4の紙を作り、まず山車小屋のコンクリート沿い(前方部南稜線に相当する)を、52m~49.25mまで下ろす。西側の畑地もこの位置から測量できるが、これは後回し。それから前方部南側面に転戦し、、52m~48.25mまで下ろす。竹藪の密生地でなかなか困難。順調なら、道上に任せて、別働隊を途中から動かそうかとも考えていたが、とてもそうはいかない。
◆ともかくもB3の紙について、神社へ至る参道までの範囲をまずは終わらせたい。

大阪歴史学会の運営

◆ちなみに、大阪歴史学会の事務局運営で、できれば固定的な事務局員を週2回とか雇用し、事務局大学で仕事にあたってもらうことが考えられている。現在の 大学、大学院生、そのもちまわりという、大阪歴史学会の運営を維持するためには、そうしないとモタナイということのようである。ただし財政的には支出が増 えるわけで、そうなると捻出するためには、印刷方式を元に戻すしかないという議論になっている。ちゃんとしたオフセット印刷にし、紙も書籍用紙にして、誌 面を刷新することを提案し実現にこぎつけた側からすると残念である。なんとかならないか、考えてはみたものの、会費を上げるという手段を取らずにとなる と、印刷経費を下げざるをえないというのは事実。そして事務局運営において、2年ごとに移していくやりかたを変えられない以上、そして、そこに生じる2年 ごとリセット状態を回避し、スムーズな事務を実現するためには、雇用者を導入するというという方式が、過去の事務局長担当者の会議で導かれ、オレもその方 がいいと思うので、それが大事。だから、印刷を元に戻すのもやむをえないかと。
◆このあたりは6月総会で議論される予定。
◆ついでに大会費。国公立が法人化されて学会を開催すると会場費を取られるようになり、かなりの額で、これがイタイ。私学では、関学や関大でやると、むし ろ大学を会場にすることで、参加者数に応じて支援金が出る。これもかなりな額。そうすると(市大は?)、国立と私学でやるのと会場費で60万円くらいの差 が生じるのだ。会場費を取られるマイナスと、補助金が出るプラスの差。そこで、これまでは事務局大学での開催を原則とし、ほかでもありという規定もあった が、だいたい事務局大学で開催してきた。これを改めようとしている。会場費がかからないところを探す、ということ。なので、今年は大阪商業大学になる。プ ラマイ0、会場費は取られないので。ま、学会運営もたいへんだ。わたしがスペインに行っていて欠席した3月委員会で決まった。市沢さんは、いろいろ考えて おられる。
◆事務局長経験者での会合で、なにかと新しい試みをやって経費がかかってくるようになった張本人としてオレを押さえこまなあかん、という話も出ているらし い。別に悪者にされ排除しようというものでなく、予算の執行を担っている事務局としては必然だろうし、ま、うちわの話。こちらはこちらで一定の背景の元 に、どう活性化させていくかという特別委員会の議論をふまえて、やれることをちょっとずつやってきたのだ。繰り返しになるが、会の持続が一番で、それには 事務局員雇用が必要→そのためには賃金分を印刷費を浮かして捻出する他はない、そういうことはやむなしだな、とあきらめている。ただ、一方では、このご時 世ではあるが、会員増をはかる努力も一方ですべきである。毎年4月頃、大学の研究室に入会案内を送ることを提案し、最初はやったが、事務局の中で引き継が れず定式化していない。あるいは、現地見学検討会でも入会案内を置いたらとカミさんに指摘を受ける。バックナンバー販売に学会に出かける時はどうしている のかな。レキケンとかニホンシケンという大きい学会なので、そういう時も、入会案内のチラシを置いておくべきだし、即入会もOKとしておくべきでしょう ね。経費節減はむろん必要だが、一方で、待ちではなく会員獲得の努力も、あまり経費のかからない方法で地道にやってほしいもの。こういうのも、事務局員が 固定すれば引き継がれていくのではあろう。
◆いまのところ、退会者も少なくないが入会者はそれをわずかに上回り、会員は減少せず横ばい、わずか増できている。ま、1000くらいですけど。

ヒストリアの特集

◆ヒストリア4月号ができた。北山さんがやられた秋のレンガシンポをまとめた特集が採録されている。これで勉強させてf9f3142b.JPGもらおう。同じ号で、安村さんの春日向山と山田高塚の見学会記事が出た。巻頭のカラーを使って墳丘の写真も掲載した。推古陵の石室の位置、写真に文字を加えてもよかったかなと思いますが、よく見るとピンポールが立っていて、それが天井石の露出箇所です。そして、その手前に羨道側壁の石材が出ていますよ(東石室の西壁)。

疲れ果て

◆土日も仕事をしていて、今週は火曜日にはもはや疲れていた。今日の神戸大学1限が終わり、市沢さんにコーヒーを入54b6752b.JPGれていただき話をする。市大に戻って大学院の演習をやって開放され、雑用を片付けなければというところで、グロッキー。眠くて眠くて、寝た。28日からのGWは、また松岳山の測量と『市大日本史』の編集で終わっていきそうだ。
◆神戸まで電車の中で、新納さんにもらった科研の報告書をざっと読む。基盤Aの目的とその達成がコンパクトにまとめられ、それぞれに興味深かった。作山古墳の測量は航空レーザーだったんや。それと造山古墳の周辺3Dについては、空中写真からの判読によるデータに、古墳の測量データを組み込んで作成したものだった。
◆千足の石室が25㎝尺ではとの見解があったが、西村さんが表明し、わたしも追認し1尺23㎝→南朝1尺25㎝を認めたのだが、そんなことには触れてもくれていない。
 

谷首

◆そのあと造山に行く。さらに樹木の伐採が続き、丸裸に近づいている。これは前にも書いた。楯築、なんか会社員風のIMG_8190.JPGスーツ姿の3人がいて、遺跡を見ており、違和感・・・。
◆さてと、話変わり、前に予告していた、谷首の石室の3次元計測を年度末に実施した。羨道のいちばん手前の石はこけ、床面もやや埋まっているが、玄室は床に近いところまでほぼ出ているのだろう。巨石を使った立派な石室だ。羨道部には落ち葉が厚く入り込んでいたが、箒で清掃。玄室も根っこその他の雑物を外に出し、計測をしてもらう。成果を楽しみにしよう。横穴式石室の計測を中心として科研萌芽は今年度も落とされ、なかなか今後とも着々とというわけにはいかないが。いまもっている基盤が今年度最終なので、次年度は横穴式石室で基盤研究に挑戦しよう。

江崎とこうもり塚

◆前方後円墳が終わり飛鳥になる頃の古墳を卒論でやろうとしている学生があり(いまは実際に何をやるかは思案中)、0ef89cf6.JPGこうもり塚があって、江崎があって、というのを少し解説しつつ、両石室を見せる。ま、こうもd26de229.JPGり塚はやはりでかい。こうもり塚の石室は浸水していたが、とくに石室はハラミなどの危険性はないと思うのだが、やはり門扉があり鍵があって玄室には入れない。石舞台のように玄室まで入って、その大きさを見ることができるはずだが、文化財保護上で問題があるんかね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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