人を幸せにする人になろう

4月8日の花見

◆妹夫婦は大阪市に住んでいたのですが、昨年、香芝に引っ越しました。二上山と下田の間くらいで、実に近所である。IMG_0449.JPGそれで花見を兼ねて招かれていたのだが、すっかり忘れていて返事もせず・・・。当日になって電話すると、既に当麻寺にいると。そrで合流し、桜の下で弁当を、ということになるも、どこともいっぱい。馬見中央公園もすごい人でした。あきらめて、どこでもいいから公園風のところでと立ち寄り、親ともども食事を。
◆そのあと新居に行って歓談。ベランダから二上山がよく見えました。ええところです。あれが狐井城山かな、と東南の方をながめたりしました。
 

なかなか精一杯

◆このブログとも、だいぶご無沙汰となった。4月第1週の時間にまだ余裕のある時期に、やるべきこと、準備しておく8a1a9b56.JPGべきコトもあったのに、かなりさぼった。体調がよくなかったこともある。今週、新学期のスタート。新しい担当科目やら、神戸大学の非常勤やら、まったく余裕なく、トホホのその日暮らし。なんとか、各曜日の授業をこなし、いくつか手がけていることの最低の段取りをやり、木曜日まできた。あしたの博物館関係の1コマ(初回のみ)を準備中。なんとかやれるかな?というところまでようやくきたが今晩もまた、残りやっつけないと。
◆下垣さんから訳本が送られてきた。けっこうおもしろく、半分くらい、実は、4月第1週に読んでいた。あとがきが面白かった。まあ、出来る人は違うなと感嘆するほかないが、一方でまた、京大の単位の話に吹き出し、研究というのは、余裕というか、彼は暇と表現していたか、そういうものがないとあかん、というのも頷ける。あんまり暇にさせとくのは、このご時世、許されないのだろうが、カツカツでは、思考を深め、いろんな発想をするというわけにはいかないだろう。大学の教員、高給だがメチャクチャ働かせられるより、薄給で遊ばしておいて欲しいと希望する。
◆わがままでしょうか。お高くとまっているでしょうか。だが、社会に対して、直接・間接、研究を通して寄与することが期待され、こういう存在があるわけだが、期待されているアウトプットを産み出すには、下垣さんの言うとおり、比較的時間的には余裕があって、あれこれ調べたり考えたりという環境が必要だろうと。ま、自分は横に置いときますが。さ、続き続き・・・
◆このノートPC、足で踏まれ破損し修理に出さなければならず(動いてますよ)、家の無線ランにつながらなくなったのもこれが理由かと思っていたのですが、今日は接続されたので、久しぶりに、ひとつ、記事を書いてみました。【追記】翌日、ついに立ち上がらず!

行ってみたいな白亜海岸

◆岩波の『地球全史』というものに載ったもの。0224b06c.JPG

アンダルシアの旅(53)おしまい

◆12時半にマドリッドに到着。在来線でも地下鉄でも空港へ行ける7dbb47a7.JPGが、ターミナル2に行くため、在来線で少し行き、d9b6657a.JPG地下鉄に乗り換える。で、空港に着くが、16:55に飛ぶはずの便がいきなり18時になっている。イスタンブールの乗り継ぎが、これでは危ない。
◆窓口が開かないので、カミさんはいらいらしている。まあ、しゃーない、ビールでも飲んで・・・。15時頃、窓口に行くと大勢ならんでいた。決まりがあるんでしょうが、職員はいるが、発時間がずれ乗る方はいらいらしているのだが、チェックインの予定の時間までぜんぜん対応してくれない。けっこう、ざわざわ。窓口が4箇所、空いたら「早くいちばん右のカウンターへ行け」みたいなゼスチャーをする。めちゃめちゃ時間がかかっていた。
◆結局、18:05発予定だったが、19時過ぎになる。夕日が左に見えるので北に向かって飛び立っているらしい。19:30離陸。イスタンブールまで2700㎞、3時間40分だそうだ。到着予定は当初は23:56分(1時間の時差)だったが、実際には00:24であった。イスタンブール発の便の予定時間は、確か23:50だったような。
◆帰りはまったく窓側席がなかったのが残念。イスタンブールまで、隣には女性が座っていたのだが、どこの人だろうか。カミさんが言葉を交わしたところによると、イスタンブールからベイルートに行くのだそうだ。それも23:40分だかの乗り継ぎで、互いに航空券を見せ合って、どうすんの・・・と。
◆イスタンブールに近づくと、それぞれの乗り継ぎについてアナウンスがあり、OSAKAはよく覚えている、212番の窓口へ行けとの指示。飛行機が着くと、みんなダッシュしていた。ベイルートに行くオネエチャンはほんまに走っていた。トランジットのチェックも簡単に通過し、搭乗口に行くと、ちゃんと関空行きの飛行機が待機している。印字された半券を見ると、00:50になっている。1時間はずらせたようだ。ほとんど座席に座っている中を乗り込む。しかしそこからも、まだ待っており、もう1便の客なのか10人くらいがそれからしばらくして乗り込んできた。まあ、関空行きなので、日本人だらけ。オバチャンが多い。
◆イスタンブールを飛び立ったのは2:00だった。関空まで8700㎞、10時間20分でそうだ。+時差で、到着は土曜日の18時過ぎ。こうして1週間のスペイン旅行は幕を閉じた。ちゃんちゃん。
◆ジブラルタルへも行けず、アフリカにも渡れず、グラナダへも行けなかったが、なかなか思い出深いスペイン旅行となった。まあ、ひととおり時系列で書いてきました。また何か思い出したら書くことにしますが、ひとまずこれでおしまい。

アンダルシアの旅(52)スペインの新幹線

◆金曜日、行きと同じくトルコ航空のマドリッド発、イスタンブール経由、関空で帰る。行きと同じく、イベリア空港の国内678290ec.JPG線に乗るはずだったが、乗り継ぎが短く不安なので、新幹線に乗る。ネットで予約できる。一等しかなく、サンfd54bd89.JPGタマリア-マドリッドで約1万円強。4時間ちょうど。
◆座席は中央の通路をはさんで左2座席、右1座席で、前後も余裕があり、ゆったりとしている。飯も出る。セビリヤまではチンタラ、どこが新幹線やねんという感じだったが、そこからは最高時速250㎞。この間、後の席のオジサン3人はず~とシャベリ続けていた。少年はプレステをやっている。
 

アンダルシアの旅(51)いよいよフィナーレ

◆ディナーの前に演奏会。ホテルの学会会場だった広いスペースで、5人の演者による民俗楽器による演奏。7e0632ee.JPG
◆この間、伝統芸能とか、歌とか演奏のことを考えていた。こういう音楽は、スペ82dc6df7.JPGインとて次第に弱くなっているのかもしれないが、まだまだ支持をえているのではないか。カーニバルや復活祭やいろいろあるし。演奏している人がこれで食っているプロかどうかは知らないが。それに対して、そもそも日本では、合奏とか合唱とかの文化はあるんだろうか。雅楽は限られた世界、武家は能や狂言、大衆は人形浄瑠璃や浄瑠璃、あとは寺の読経、もっと大衆的なのは田植え歌などか。詳しくはないが、ないことはないんだろう。が、それの背景にある農耕社会や朝廷や武家や仏教やら、そういう基盤がなくなっている。伝統芸能として保護を加えることで、ようやっと存続する、そのへんが違っているのか、とかなんとか考えていた。
◆そのあとディナー。ドイツかどっかの偉い先生が75歳になった、そういう記念の大会でもあるらしく、途中、バースデーケーキが運ばれる。それから、各国の歌合戦になることもままあるらしい。多くを占める日本人は、たぶん東北大学が歌詞の資料を配付し、徳島大学の先生が張り切って指揮をし、2曲やったが、それでこっきり終わる。
 

アンダルシアの旅(50)最終日

◆ゼネスト。交通機関はミニマム運行らしい。10%とか20%とか、鉄道やバスもいったいぜんたい、どれが運休する90a3f6c5.JPGか、どれが動くのか、行ってみないとわからない。結局は近傍なら行けても、グラナダは2201e9b5.JPGとうてい無理。サンタマリアの街をぶらぶらする。コーヒーブレイクに戻り、ランチに戻り、ディナーに戻り、そんな1日で終わる。まあ、それもよい。
◆最初に観光案内にあった建物に行くが(金持ちの屋敷だったもの)、閉まっている。店も開けているところもあるが、閉めて表に張り紙がしてあるところもある。読めないけれども、全国の労働者へ、ゼネストに参加せよ、といった内容か。ホテルでもコピーがまわってきて、できるだけのことはするが、不便をかけるかもしれない、みたいな断りの文書らしい。
◆次に考古博物館(資料館というべきか)に行くも、そこも閉まっている。サンタマリア
30dcac5a.JPGc51151cd.JPGがどれくらいの街かは調べていないが、5から6万人くらいだろうか。それでも考古博物館はあるわけである。展示が見れなかったのは残念。
◆写真をいくつか掲げておく。建物の写真はワイン(シェリー酒?)の醸造所。そういうのが何軒も連なっている。それから闘牛場。やっていませんが。スーパーに立ち寄り、みやげのお菓子などを買う。豚の塩漬けが脚のままぶらさがっている。これを薄くスライスして食べる。朝食のバイキングに山ほど並べてあり、がばちょと取る。少し塩分の取りすぎになる
4123346f.JPG。それと城。入ろうとしたら、ガイド付きでないと入れてくれず、スペイン人でなければ、次の英語のガイドは〓時だからは今はダメと言われ、そうでっか、とあきらめる。a389b088.JPG
◆そんなわけで、歩くには歩いたが、食うばかりの1日となる。

 

アンダルシアの旅(49)宴会

1a23f757.JPG翌日もそうだったが、例えば会長の挨拶、それに続いて年長者のe113416f.JPG乾杯の発声などなく、ワインをついでもらうと、みなたちどころに飲み食いを始める。始まりの仕切りはない。
◆まずはエビ。3種類くらい。ザリガニみたいなやつは、淡泊な味。メインは各自が選ぶ。魚2種、ダック、ビーフ、このなかから各自が選ぶ。まあ、ガブガブ呑んでいる。
◆5人が写っている写真の右にいる先生が、マドリッド空港で顔を合わせた新潟大の松岡先生で、この世界では日本の第1人者という。、
◆21時から23時。ほんとうは24時までの予定だったが、ゼネストに突入するので、23時以降になると、バスの運転手が帰ってしまうらしい。23時前に予定より早く終了し(もっと早かったかもしれない)、帰途につく。
6afcc8a4.JPG
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アンダルシアの旅(48)そのあと

◆しばらく街歩きをする。サンタマリアではなくカディスとの中間くらいd5d2428c.JPGの街でディナーがセットされており、そのバスの集184742dc.JPG合時間が20時で、それまで再び自由行動。もうみなさん、あんまり動きたくない様子で、カフェーでいっぱいやりましょうかという雰囲気。
◆写真は、カミさんと仲の良い東洋大学の先生と新潟大学の先生。2人とも地質屋出身という。よくわからんが、大学院生かなんかと話をしたことを思い出す。古地質への関心と放散虫という生き物への関心とというのがあり、それは志向性が違うものだろう。ともに関わり合うのは必然だが・・・。が、現生の生物学ではなく、古い時期の生物はやっぱり地質学、今風にいえば地球科学のなかでやはりやられるほかはないようだ。大まかにはくくられながらも、やはり岩石や地質そのものをやる世界と、生物をやる世界があるのだろう。
◆だいぶ早いが待ち合わせの海岸沿いの広場へ。30分ほど時間があるので、地中海に足を入れる。天気良く、浜辺で横たわる人間も少なくないが、海水はまだ冷たかった。
 

アンダルシアの旅(47)ガイド付きツアー

◆カディス大学に向かう。14時前、街を歩いていると、なにやら人をまっているような親が大勢いる。なんだろうと思っていると、そこは学校。そう、14時から16時は昼休み、親は子供を迎えに行き、連れだって2f2a715a.JPG家に帰り、昼食を取るのだった。59c775e8.JPG
◆カディス大学では、フロアのところにテーブルがしつらえられ、ワインがならぶ。昼間っからガブガブと。まあしかし、こういう場で交流するのも国際学会なんだろう。ひとしきり飲み食いしたあと、食堂でコーヒー。それから外に出て、ガイドさん付きでカディスの街を歩く。ガイドさんはどういう人なのかな。大学の歴史の人なのかもしれないが、まったくわからん。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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