人を幸せにする人になろう

アンダルシアの旅(46)ついでに

◆ついでに。やっぱり現在、ヨーロッパのキリスト教国家なのだ。その起源としてギリシア・ローマがあると考えているわけだ。イスラム教徒の国家があったことはスペイン史にとって重要なのだが、レコンキスタのという言葉があるように、かつてキリスト教を国教としたローマの一部だったのに、イスラム教徒の領土となり、それを回復して今がある、と。そういう意識があるように思える。
◆そういうヨーロッパ意識からすると、ローマは本来、イスラムは異端、ということになる。セビリヤ博物館では、最後のところで、10何世紀くらいの遺物があった。なんとなく日本とも共通し、土器は規格品で施釉され、ぱっと見て新しいんだろうな、と感じるが、そこにはどういう解説が付されていたのか、スペイン語が読めないのでわからないが、同じところに並べてある展示物は十字架だったりする。
◆そう、イスラムの時代の展示って、あるんだろうか。もしかして、ないんではないのか、と感じるくらい、見あたらない。そこに焦点をあてたものはないのだ。アルハンブラは残ったにせよ、ほかはどうなんだろう。かなり破壊したり、よくあるキリスト教的改変だったり、意識的に消しているのかもしれない。むろん、長いイスラム時代の文化は根強く残り、いろんなところに、いろんな形で残存しているのだろうが、しかし博物館での扱いを見ていると、もしかすると遺跡の取り扱いにも差があるんじゃないか、と思えてくる。

アンダルシアの旅(45)バエロクラウディア

◆ある一室には、タリファ近くのローマ都市、バエロクラウディアのパネルが展示されていた。ひとまずローマ、アンa90bf66c.JPGダルシア地方のローマ都市について、もう少しわかりやすく全体像を示してくれてもいいのに、と思った。例えばセビリヤ博のイタリカ。イタリカからの展示物がほとんどを占めるが、遺跡についての情報があまりない。ま、現地に行けと言うことだろうが、やっぱり博物館なるもの、ブツの収集が中心という機能を引きずっているように思える。例えば遺跡の模型があれば、ずいぶんとローマ都市のイメージが博物館でもえられるだろう。
◆カディス自身は遺跡としては継続する都市に埋もれているわけだが、クラウディアは違うようで、平原の中にすっ
ぽり残っているようで、写真を見ると、掘り出した都市遺構はそのまま露出させているようだ。大きい航空写真で遺跡の様子はわかるが、もっと工夫ができるだろう。まず、この地域のローマ化を示す上で、分布図が1枚あるけれど、大・中・小、それぞれの遺跡の写真や遺構図を、分布図に貼り込んでやれば、ずいぶん全体像は理解しやすい。851a2180.JPG
◆全般的に、モノ、その解説、というのがほとんどで、遺跡や歴史を理解させるための図表などのパネルは少ないように思った。そのへんは、展示の理念もあろうが、むしろ旧態依然的なのかなと。博物館が主要都市には必ずある、そのへんはむろん優れており、実物の強みはあるのだが、伝統的な博物館像にとどまっているようにも思える。
 

アンダルシアの旅(44)沈没船

◆ここにもトラヤヌス帝の像など多数(ひとつ前の記事に添えた写真)。そして沈没船からの引き上げ物が7189ccef.JPGあった。たぶんセビリヤの博物館にも海中から引き上27332fd5.JPGげられたアンフォラがならんでいて、貝とかが付着していたが、ここでも沈没船からの引き上げ8cf49758.JPG物が展示されている。パネルには船体が丸ごと残っているような写真もあったように思う。
◆別に水中考古学に詳しいわけではないが、昔、文化庁にいるときに、水中遺跡の保存の報告書をまとめたことがあり、そのあと水中遺産の国際保護条約制定の会議にパリに出張したことがあるので、少しは意識がある。韓国でも新安の沈没船の博物館に行ったことを思い出す。
◆展示物として、まず銅と鉛のインゴットがあった。それと碇、そしてアンフォラ。地中海は水中考古学の分野ではもっとも先端なんでしょうね。日本でも、最近、鷹島海底遺跡が史跡になり、また船体が初めて確認されたとの報道があった。
 

アンダルシアの旅(43)カディス博物館

◆最初、間違って別館から入り、これだけ?と思ったが、本体は大き1b876d69.JPG3c257e57.JPGかった。写真の正面が別館で、右側が本館。別館は企画展用らしい。《カディスの歴史展》を開催中であった。
◆本体は、旧考古学博物館と美術館が1980年に合体したものという。1階が考古学展示。2階は絵画。カディスそのものが、ガデアというローマ都市であったことを知る。それと先端の旧市街だけが島なのではなく、砂州および背後の部分を含めた全体が大きい島である。陸地側からは低湿地に阻まれ、容易に近づけない、そんな場所であったようだ。
◆1階。なにやらエジプトくさいのだ。が、これはエジプト直ではなく、フェニキア人のもたらしたものらしい。そしてローマとなる。
◆ローマ時代の推定復元の絵があったが、どこまでわかっているんだろうか。こうした歴史的都市
は、なかなか日本のように発掘調査ができるとは思えない。壁面には、このあと、ローマが衰退してa576ccbf.JPG諸施設が荒b7623c15.JPG廃している段階の絵もあったが、どっかの時点で壊すんだろうが、基礎はたぶん残っているんだろう。しかしその上に再生された都市は、石造りで、それも何度かの作り替えはあるのだろうが、いずれにしても日本の木造建築やコンクリート建築と違って寿命は長い。あるブロックを立て替えるにしても、数100年に一度くらいかもしれない。発掘調査の機会はほとんどないわけだ。近代化のなかで古いものが顔を出し、記録され出土物が取り出され、そうしたものを収集保管する博物館が必然的に生まれるのだろうが、現代都市が丸ごと遺跡で、計画的に調査しようにもできない。それはしかし地下に残っているということでもある。大阪城下町も同様ではあるが、頻度がかなり違うのだろうと感じた。

アンダルシアの旅(42)製塩

◆○○川に沿ったサンタマリア港沿いに歩いてバス乗り場まで行く。そこで2組に分かれて乗り込む。11時発。
◆この地は、製塩の盛んなところらしい。低湿地といったが、干潟風のところで、雨は少なく天日は強い。塩づくりにはf9530502.JPGうってつけということになる。バスが発車すると、すぐに塩づくりのモニュメントが目に入ったので掲げておく。実際に、カディス方面では、塩が盛り上げられている状態を見ることもできる。
◆日本じゃ、入浜式の製塩はもはやないが、スペインでは、いま能登半島などに残るような天日による製塩が、中世と変わることなく続けられているのかもしれない。その前は土器製塩だったのだろうか。近藤先生の本を読めば、なにか書いてあるだろう。
鉄道がぐるりと南へ迂回しているのと異なり、カディス湾を横切る道路ができており、車の方が早い。
◆カディスに到着。月曜日と違って、港に巨大な観光船が入っていた。14:30にカディス大学に集合ということで、そa54f2677.JPGれまで約2時間半の自由行動となる。みなさんと異なり、カミさんとカディス博物館に向かう。

アンダルシアの旅(41)28日の水曜日

◆さてと、月曜日にカディスのバス乗り場で、グラナダ行きが日に4本出ていることを知る。アルハンブラへ行けるのではないかと・・・。が、アルハンブラはガイドブックによればb9fd73c4.JPG、当日券もあるが、朝のうちになくなるそうで、ネットで事前に予約するのだそうだ。午前の部と午後の部、人数上限あり、これに加え、なんとか宮殿には30分刻みの枠を選択する。29日の木曜日にカミさんとグラナダへ行くことにして予約はしたが、帰ってこれる保証はない。アンダルシアバスの時刻表を調べると片道5時間強、なんとか、その日の23時半くらいにはサンタマリアには帰り着く。カミさんはイヤヤと言い出し、それなら、この日、水曜日に単独行をすべきだったが、前日までに予約ができなかった(ま、いろいろあったのですが)。ということで、この日は、学会のカディスツアー+ディナーに同行することに。
◆朝食時、みなゼネストで、帰りを心配する話題でもちきり。先週の金曜日だかに賃下げかなにかが発表され、労働組合が昨日(火曜日)に、29日木曜日にゼネストを行うことを発表したらしい。b2dd9f66.JPG
◆朝、セッションを終えて、11時に開場を出る。ちなみにまだ暗いのに、毎日、朝8:30から学会やるのである。そして、昼は14時から16時までが休みときている。いつもは11時にコーヒーブレイクが入るものの、8:30から14時までガッツリやるのだそうだ。
◆この放散虫の会議、3年に1度大会をやるのだそうだが、今回の世話役の人はカディス大学の先
生ということで、この日、カディスの見学となる。ほんとうはサンタマリアから蒸気船でカディスに向かう予定だったが、この日も風が強く船が出ないということでバスになる。
 

アンダルシアの旅(40)遊覧船

◆まず川下に下ってゆき、Uターンして川上に向かう。船着き場に立つのは「黄金の塔」というもの。古いセビリヤの絵0b7d83af.JPG図でも、川に面して建つ姿が描かれている。セビリヤは内陸だが、川を遡上して荷揚げcb09420c.JPGができ、ウィキによれば、「イベリア半島西岸と航路で結ばれているセビリアは、アメリカとの貿易の独占港となって繁栄を誇り、16世紀から17世紀には、スペインでもっとも人口の多い都市となり1649年には13万人を数えた」とある。
◆セビリヤ万博が1992年に開催され、そのパビリオン等の残ったものらしきものが望める。+高い展望台のようなものが建設中であった。川にはカヌーが多数。これ、大阪の大川と似たようなものなのだが、景観が違うわな~。橋もすべて設計としてもデザイン的に独特のものであった。大阪にもたくさんの橋があり、遊覧船でいくつもくぐるのだが。
◆本日はここまで。駅に向かう。サンタマリア行き発まで1時間ほど時間があり、カフェバーでちょっと引っかけて帰る。20:03発、サンタマリア21:15着。
◆よくわからんが、鉄道は真新しい駅が多い。高速道路も。こうしたインフラ整備が実はけっこう遅れていたのではないだろうか。新幹線もようやく主要都市間でできつつある。が、鉄道も、いたって本数は少ない。レンファ(renfa)というのがスペイン鉄道なのだが、いまはネットで時刻表も見ることができるので便利。スペイン語は無理でも、英語表記を選択すれば、なんとかたどることができる。

アンダルシアの旅(39)セビリヤ大聖堂

◆アルカサルを出て、正面のカテドラルに向かう。その尖塔は約100m、驚くほどに高い。そのかなり高いところにまで51d6c3f5.JPG観光客の姿が見える。ちなみに、アルカサルとカテドラルと古文書館が世界文化遺産となっている。オレたちも、と思うが入口がわからず、南にまわると確かに入口だったのだが、入館は16時までで、もう閉まっていた。ガイドブックの時間帯とちゃうやないか!
◆見て回る順番を逆にすればよかったのだが、まあ、仕方がない。この大聖堂、サンピエトロ大聖堂をのぞけば、カトリックで最大のものという。
◆さてと、ええ加減、かなり歩いてきたわけで、さてこれからどうしようか、サンタマリアに戻って飯でも食うか、といいつつ、川沿いに店がならぶとあり、グアダルキビル川に出る。16ユーロで1時間楽しめる遊覧船に乗ることにする。
 

アンダルシアの旅(38)タイル文化

◆タイル文化が目立つ。これはイスラムのもんかね~。例としてホテルの案内板を示すが、こっちレストランにしろ、トイf7002065.JPGレにしろ、客室だとか、フロントだとか、とにかくタイルに焼き、それを壁に張り込む。街に出てもそうだ。ここは何だというのに、多くタイルが使われている。これだけ需要があるから、タイルを焼く窯業も盛んなんだろう。それはセビリヤのアルカサルの壁が、幾何学的で色鮮やかに彩色されたタイルで埋め尽くされている、そうした建築技術の伝統がいまに継承されているということなんだろう。そしてそれはさらにイスラムへとさかのぼるのだろう。
 

アンダルシアの旅(37)アルカサル

◆スペイン語で城という意味だそうです。が、ここではセビリヤのアルカサル。以下、ウィキ。698c1a0b.JPG
アルカサルは、スペインのセビリアにあるスペイン王室の宮殿である。14世紀、ペドロ1世の命により、イスラム時代の宮殿の跡地にムデハル様式で建設が始められた。グラナダのアルハンブラ宮殿を意識した構造になっている。15世紀から16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンスなどの様式も混じっている。

◆で、世界遺産だそうです。まあ、見ごたえはありました。実は城そのものは一周せず、半周までいかない手前で庭園の方に出て、主に庭園をぐるぐる回りました。
◆グッズもたくさんあり、日本語のセビリヤ観光案内とメモ帳などを買いました。庭にはさまざまな樹木があり、オレンジやレモンがなり、キジも放し飼い
7d9ff80e.JPGされています。8aca34fa.JPGいろんな様式の四阿なども配されています。むろん、アルハンブラもいいのでしょうが、ここも飽きずにブラブラできますよ。
◆ネットで見ると、ここを舞台にした歴史マンガも刊行されているとのことです。屋内には用いられていたタイルの展示があり、年代を見るといちばん古いので15世紀、多くは16世紀でした。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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