人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
もとい、大塚山横のサイゼリヤ
◆で、本日、22時に大学を出て、それから車での帰り道にあたる大塚山古墳のところにあるサイゼリヤで2時まで原稿を書いていた。それなりには進んだ。大塚山古墳の原稿、けっこう、ここで夜書いた。だから、どおってことはないのだが、なんとなくモチベーションはいい。夜の暗い中ではあるが、むこうに大塚山の墳丘が横たわり、水濠があると、サイゼリヤの駐車場からそれが見えるわけ。そっち側に窓はないので、店の中から大塚山古墳を見ながら書くことはできないが、ココでやってる、という気分は悪くない。
◆後円部に侵入して、ごぼ石のある地点の上段斜面を掘れば、きっと横穴式石室が出てくるに違いないが、まあ、そんなことはしませんので、ご心配なく。ほんとに品行方正、陵墓にみだりに立ち入るようなことはしていない。
◆後円部に侵入して、ごぼ石のある地点の上段斜面を掘れば、きっと横穴式石室が出てくるに違いないが、まあ、そんなことはしませんので、ご心配なく。ほんとに品行方正、陵墓にみだりに立ち入るようなことはしていない。
こんどは六甲
◆石切と言えば、大阪城の研究発表の本題である石切丁場の件で、兵庫県が実施した分布調査報告書をちゃ
んと初めて見た。なんか報告書そのものが、原因者負担の立派
な体裁の報告書と違い、補助事業で印刷経費が十分でないのか、紙や印刷がチャチイのだが、ま、中身とは関係ない。中身はある。やったこともわか る。ああいうことに県の事業として取り組み、報告書にまとめた意義は大きい。またまた本としての話をすれば、依頼原稿を集めたもので、なんというか全体像 の理解を助ける工夫はほしいが・・・。
◆もうやめよう。仕事は大変であるということは良く理解できる。山の中、山登り、石を確認、寸法を測り、調書を取り、地道に膨大な数をこなして積み上げていく、そこに頭が下がる。逆に言えば、それだけ組織的に取り組まないとできない仕事ともいえる。
◆森岡さんに『歴史と神戸』を送っていただく。そのなかで、築城史研究会の大家、藤井重夫さんの資料を芦屋市が寄贈を受け、整理した話を書いてある。大阪城の石垣関係の図面、ぜひ見たいものである。これはこれで、愛好家集団を組織して取り組んだもので純然たる個人でないとはいえ、しかし個人が一生をかけた仕事であることは間違いない。すごい人が世の中にはいる。
◆もうやめよう。仕事は大変であるということは良く理解できる。山の中、山登り、石を確認、寸法を測り、調書を取り、地道に膨大な数をこなして積み上げていく、そこに頭が下がる。逆に言えば、それだけ組織的に取り組まないとできない仕事ともいえる。
◆森岡さんに『歴史と神戸』を送っていただく。そのなかで、築城史研究会の大家、藤井重夫さんの資料を芦屋市が寄贈を受け、整理した話を書いてある。大阪城の石垣関係の図面、ぜひ見たいものである。これはこれで、愛好家集団を組織して取り組んだもので純然たる個人でないとはいえ、しかし個人が一生をかけた仕事であることは間違いない。すごい人が世の中にはいる。
竜山石
◆大阪城の準備は半分は終了、USBメモリも戻り、ええかげんヒストリアの原稿を出さないとヤバイので、完
成にむけてダッシュをかける。宮内庁から河内大塚山の最新の図面も届いた。既に等高線のトレースは終えている。分量が多くなってるので、全体に絞ることと、最後の倭国王墓・大后墓の評価のところがまだできていないので、それを書き込まなければならない。この部分、お茶を濁すか、徹底してやるか。祝日が2回あるから、なんとかなるか。
◆表題とはぜんぜん関係ない話をしている。こないだ、東大塚村の地蔵堂に行って、石棺材かもしれないという百度石を見たが、ぱっと見で、竜山石でも青く、ちょっとちゃうな、という印象。竜山石にも、黄色・赤色・青色があるのだが、だいたい古墳時代の石棺は黄色です。なんで色が違うか、こないだ加古川東高校で話を聞いたようにも思うが、忘れた。
◆実は母方の祖父は、竜山石の石切職人であった。婿養子らしく、もともと実家の方は竜山に近いところなので、家業だったのだろうか。いま親の取材をすこし帰るたびにやっているが、いまいちそのへんは不明である。まあ、モノゴコロついた時には、体を壊して寝ていたので、石切の姿を見たことはない。まあ、話を聞いていると、ハッパをかけるとまとまって石材ができ、まとまった金が入るんだと。そうすると、遊ぶのだそうである。祖母が泣かされていたそうな。
◆表題とはぜんぜん関係ない話をしている。こないだ、東大塚村の地蔵堂に行って、石棺材かもしれないという百度石を見たが、ぱっと見で、竜山石でも青く、ちょっとちゃうな、という印象。竜山石にも、黄色・赤色・青色があるのだが、だいたい古墳時代の石棺は黄色です。なんで色が違うか、こないだ加古川東高校で話を聞いたようにも思うが、忘れた。
◆実は母方の祖父は、竜山石の石切職人であった。婿養子らしく、もともと実家の方は竜山に近いところなので、家業だったのだろうか。いま親の取材をすこし帰るたびにやっているが、いまいちそのへんは不明である。まあ、モノゴコロついた時には、体を壊して寝ていたので、石切の姿を見たことはない。まあ、話を聞いていると、ハッパをかけるとまとまって石材ができ、まとまった金が入るんだと。そうすると、遊ぶのだそうである。祖母が泣かされていたそうな。
遊んでしまった
◆きしわだ自然資料館って、やっぱり有名な剥製コレクションが寄贈されて作られたらしい。場所はもと銀行だそ
うです。この資料館を調べていて、へんなブログに遭遇、思わず読み込む(日本珍スポット100景―B級スポット観光ガイド―)。で、似顔絵のフリー作成フォームに到達し、作図してしまった。
◆ふざけてもいいが、それなりに選んでいけば近づくのがオモシロイ。メガネはない印象の方が強いかもしれないが、近頃は老眼鏡が離せず、丸メガネ風。ヒゲは遊び。これがないと、なかなかシワで年相応というわけにいかず、若作りになってしまうので。考古学をやっている者らしい?。手はあまり選択肢なく、これが普段の姿ではある。背景も遊び。選択肢のなかにピラミッドや万里の長城もあったが、別に関係ないし。前方後円墳はないので・・・。で、仕上がったのがコレ、いかがでしょうか(笑)。
◆ふざけてもいいが、それなりに選んでいけば近づくのがオモシロイ。メガネはない印象の方が強いかもしれないが、近頃は老眼鏡が離せず、丸メガネ風。ヒゲは遊び。これがないと、なかなかシワで年相応というわけにいかず、若作りになってしまうので。考古学をやっている者らしい?。手はあまり選択肢なく、これが普段の姿ではある。背景も遊び。選択肢のなかにピラミッドや万里の長城もあったが、別に関係ないし。前方後円墳はないので・・・。で、仕上がったのがコレ、いかがでしょうか(笑)。
きしわだ自然史資料館
◆これまでの保護審でも会場になったことがあるのかもしれないが、オレははじめて。本町にあり、これも岸和田![5b68978f.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1316008190?w=150&h=112)
古城問題の時に知った。で、カシコーケンの特別展に行ったとき、動物などの剥製(?)をいっぱいここから借りているのを見た。自然史系の資料館として、なかなかのもんだ。街中で大きな建物ではないが、3階・2階の展示室は充実していて、小学生たちが遊んでいた。
◆城下町岸和田、文化や教育には熱心である。市で自然史系の資料館をもっているところは多くなかろう。いつできたのだろう。なにか特別な経緯があるのだろうか。コレクションの寄贈を受けたとか・・・。この分野の学会誌がならび、他館のニュースを綴じたのやら、チラシ・ポスターなどもたくさんある。
◆望むらくは歴史系の資料館も作ってほしい。こんど、コシノ家母の話が連ドラに取り上げられるので、天守閣で展示が行われるようだ。天守閣には入ったことがないので、展示スペースをみたことはない。が、かつてあった城内の展示施設は前に閉鎖された。あれらの展示機能はどっかで代替されているのか、完全にお蔵入りになったのか。そういえば、2008年だか2009年だか、橋下クンのOSAKA MUSEUMUなんとかで、二の丸を掘って?ナントカという話があったような。
◆城下町岸和田、文化や教育には熱心である。市で自然史系の資料館をもっているところは多くなかろう。いつできたのだろう。なにか特別な経緯があるのだろうか。コレクションの寄贈を受けたとか・・・。この分野の学会誌がならび、他館のニュースを綴じたのやら、チラシ・ポスターなどもたくさんある。
◆望むらくは歴史系の資料館も作ってほしい。こんど、コシノ家母の話が連ドラに取り上げられるので、天守閣で展示が行われるようだ。天守閣には入ったことがないので、展示スペースをみたことはない。が、かつてあった城内の展示施設は前に閉鎖された。あれらの展示機能はどっかで代替されているのか、完全にお蔵入りになったのか。そういえば、2008年だか2009年だか、橋下クンのOSAKA MUSEUMUなんとかで、二の丸を掘って?ナントカという話があったような。
泉光寺の岡部家墓所
◆ここの岡部家墓所に来たのは、2回目か3回目だ。岸和田古城問題の時に、地元の人に案内してもらい、その
あと、1人で写真を撮りに行ったような気がする。
◆岡部家の大名家墓所は市指定の史跡、隣に家臣の墓地があり、追加指定し、いずれはあわせて国史跡にしようとしている。追加指定の問題と、岡部家藩主の墓地のひとつが楠の根で玉垣を押し上げられ、その対処方針のことの2点。
◆大名家墓所のことはほとんど知らない。国の調査官も評価しているらしい。虎間さんが岡部家墓所の平面測量をすると発言。ちょっと聞きそびれたが・・・。どんな内容で、予算がいくらくらいかわからんが、この際、3次元計測をすれば、平面図のみならず、立面も自動的にできるんだけれど。ちょっと提案してみようか。
◆岡部家の大名家墓所は市指定の史跡、隣に家臣の墓地があり、追加指定し、いずれはあわせて国史跡にしようとしている。追加指定の問題と、岡部家藩主の墓地のひとつが楠の根で玉垣を押し上げられ、その対処方針のことの2点。
◆大名家墓所のことはほとんど知らない。国の調査官も評価しているらしい。虎間さんが岡部家墓所の平面測量をすると発言。ちょっと聞きそびれたが・・・。どんな内容で、予算がいくらくらいかわからんが、この際、3次元計測をすれば、平面図のみならず、立面も自動的にできるんだけれど。ちょっと提案してみようか。
110914岸和田市文化財保護審議会
◆13時、市役所集合。だんじり祭りの準備が進んでいる。バスで市指定を検討中の物件の現物確認。
◆(1)兵主神社の能面9点と付属文書、(2)泉光寺の岡部家墓所。井藤徹さんが副会長(会長は民俗?の先生)。現地終了後、きしわだ自然資料館で審議。ほぼ16時となる。
◆この会議、いろんなことで欠席してしまうことが多く、申し訳なかったが、久しぶりに出席できた。雰囲気良く、わりとフランクに議論ができた。本来は、摩湯山古墳の調査や整備を念頭に、メンバーに組み込まれたものだが、摩湯山の話はしばらく先か。そういえば、うちの測量調査報告も出てないが、岸和田市の報告書はできたんだろうか、昨年度の事業だったように思うが。
◆(1)兵主神社の能面9点と付属文書、(2)泉光寺の岡部家墓所。井藤徹さんが副会長(会長は民俗?の先生)。現地終了後、きしわだ自然資料館で審議。ほぼ16時となる。
◆この会議、いろんなことで欠席してしまうことが多く、申し訳なかったが、久しぶりに出席できた。雰囲気良く、わりとフランクに議論ができた。本来は、摩湯山古墳の調査や整備を念頭に、メンバーに組み込まれたものだが、摩湯山の話はしばらく先か。そういえば、うちの測量調査報告も出てないが、岸和田市の報告書はできたんだろうか、昨年度の事業だったように思うが。
ユーロも安くなって
◆ヨーロッパなんて、カミさんと違って1回しか行ったことない。ユーロはわからん。1ユーロ200円とかやったんが、いま最安値の100円だそうで。これから旅行会社の広告も増えるだろう。イタリアに10日15万円くらいで行けないものか。
◆しばらく前の、円が77円だが、対ドル最高値となった頃の折のこと(いまでもそう?)、これだけ円が強いことを利用して、国の借金が返済できないのか、といった話になる。そうだわな。
◆しばらく前の、円が77円だが、対ドル最高値となった頃の折のこと(いまでもそう?)、これだけ円が強いことを利用して、国の借金が返済できないのか、といった話になる。そうだわな。
大阪城の研究会発表の準備
◆和歌山でUSBメモリを忘れ、仕事にならん。そこで、2週間後の大阪城の研究会発表の準備をしている。
ま、本体は石垣と石切丁場の話なのだが、それよりもコーディネート役になろうと思っているので、大阪城調査の考古学的成果のまとめをすべく、図書館で図書を借り出し、中村先生の新泉社の本を導きに、パワポを作っている。
◆河内大塚山と同じで、やっぱり自分で写真を集めたり、図面をいじったり、表を作ったり、そうしないと認識は深まらない。認識って言ったって、研究レベルの話ではない。何がどこまでやられているのか、わかっているのか、をまとめるだけなのだが、これも働きかけないと身につかないということだ。トヨトミ大阪城の築城過程も学んだ。南外堀でトヨトミ期の石垣が露呈していたことも知る(中村さんの言うとおりでしょうね)。
◆わからないのが、築城史研究会。ネットで出てくるでもない。大阪城の石垣調査の報告書は2冊出ているらしい。会誌があって、いろいろ書いてあるんだろうが、図書館にはない。熱心に石垣に取り組み、記録を取り、拓本を取り・・・、データの蓄積はすごいんだろうが、簡単に把握はできないんだろうな。ま、文献を集めて読むことは大変だが、避けているわけにもいかず、地道に集めないと始まらない。わかりにくくとも、そうならそうで、こっちがまとめたらエエネン、と考えるべきか。
◆河内大塚山と同じで、やっぱり自分で写真を集めたり、図面をいじったり、表を作ったり、そうしないと認識は深まらない。認識って言ったって、研究レベルの話ではない。何がどこまでやられているのか、わかっているのか、をまとめるだけなのだが、これも働きかけないと身につかないということだ。トヨトミ大阪城の築城過程も学んだ。南外堀でトヨトミ期の石垣が露呈していたことも知る(中村さんの言うとおりでしょうね)。
◆わからないのが、築城史研究会。ネットで出てくるでもない。大阪城の石垣調査の報告書は2冊出ているらしい。会誌があって、いろいろ書いてあるんだろうが、図書館にはない。熱心に石垣に取り組み、記録を取り、拓本を取り・・・、データの蓄積はすごいんだろうが、簡単に把握はできないんだろうな。ま、文献を集めて読むことは大変だが、避けているわけにもいかず、地道に集めないと始まらない。わかりにくくとも、そうならそうで、こっちがまとめたらエエネン、と考えるべきか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。