人を幸せにする人になろう

まず垣ノ島遺跡

◆世界遺産になっている遺跡は17、うち2つがここにある。まずは手前(南)の垣ノ島遺跡に行く。ここには函館市縄文なんとかセンターなる展示施設が併設され、道の駅もくっついている。とはいえ、道の駅は簡単な物販のみ。
◆海沿いに旧道があり、漁村が海に沿って展開する。縄文の遺跡は一段上がった段丘上。で、海岸沿いは拡幅が難しいので、山側に新しい道を敷設することになる。これは一般的。遺跡があるので、その山側に道路を通し、その脇に展示施設を設けている。コンクリート打ちっぱなしの壁面が展開する。海を隠してしまうのはどうなんでしょうね。
◆海に向かって左が博物館。けっこうな展示施設です。ここの遺跡だけでなく、函館市全体?の縄文のえりすぐりが集められている。そしてなんとか遺跡出土の国宝になっている土偶がある。これ1点で、ひとつ暗い部屋がある。

2025年5月1日 旧南茅部町と北大・水産の臼尻実験所

◆函館空港着。レンタカーで東に向かう。山を抜け旧南茅部に。道路標識が、すべて川汲(旧南茅部)になっている(これカックミとよむ)。合併して「大函館市」になり、南茅部町はなくなる。だが、南茅部というのは、実際にある特定地域の地名ではないので、残らないのかな、と。町になった時につけたものなのかな。そうなると、合併して市町村名が変わると消える。そこで旧南茅部ですよと、こういう表記になる、ということなんだろうか。
◆まず北大・水産の臼尻の実験所を見に行く。娘がお世話になりました。

2025年5月1日 伊丹空港

◆11時JAL便で函館に飛びます。昨日も結局は名簿作成で終わってしまったので、メールチェックから、かな。いま飛行機のなかでメール見てます。平日ではあるが、授業のない11連休で、返事は5月7日でエエヤン、というのが心情。そもそも送ってくるなと。働き方改革で、土日に職場の仕事上のメールを控えなあかんね、という話にはなっているが、そう言う人からどんどんメールが送られてくる。こっちは、極力出さないように努めているつもり。仕事のことは平日に(今日は平日ではある)。で、ほっておけないものだけ対応。
◆さっき富山平野が見え、能登が見えました。いま見えてるのはどこだろう。
【追記】12:17津軽海峡。
【追記】五稜郭の桜(画像)。

2025年4月29日 名簿作り

◆しばらく前から日本史研究室在籍者名簿作りをやっております。5月10日の大阪公大日本史学会退会で配布するためです。今日の午前中は、この仕事をまずは進めようか。

もう1枚は藤

◆まあこのシーズンは藤ですね。

2025年4月29日 研究室にいる

◆11連休です。5月の1日~5日は出かける予定。その前に仕事を。とはいえ、土・日・月と、はや3日が過ぎる。今日は三田まで車でカミサンを送っていった。6:30には出れず、ほぼ7時。関学は、月・火(祝)・水は授業日だそうです。車で三田西に行くのは、土日のどっちかくらいだが、その帰りの車中が、いろいろモノを考えるにはいい時間なんです。
◆三田に行くときは、新三田駅前のコメダ。今日は7時に出て1時間半、コメダ30分、帰り1時間で、研究室には10時着でした。
◆広葉樹の新緑も、はや葉が広がり緑が濃くなっています。このシーズンの画像を撮影したので、挙げておきます。1枚目はレンゲ。昔は田んぼにレンゲを植えて、窒素同化させていたんですよね。
◆2枚目は麦です。こういう写真、ノートPCの画面を変えて、授業時に、パワポ投影を始める前のわずかな時間であるが、季節を示すようにしています。

2025年4月24日 亀岡泊

◆4月25日(土)の網野銚子山古墳の式典には、亀岡に前泊した。カミサンも行くというのだが、金曜日は東京出張だったの。なんとか亀岡23:45くらいには着けるという。なので、金曜日は教授会の日だったが、車で出勤し、22時に出て亀岡に。わりと早く着くが、ホテルは亀岡駅北口で、隣にパープルサンガのホーム?のごっついサッカー場がある。着いて、晩飯をコンビニで買おうとしても店がなく、再度、南口にまわり、うろうろしてファミマに行く。明智光秀の銅像が立っていました。
◆電車で来て、亀岡を歩いたことはないな。10年位前に院演習の見学会で、お城に行ったことがあるが、大本教の本部になっている。そういう時も車だし、新鮮でした。いま地図を見ると、文化資料館は駅に近いロケーションなんですね。ここには役所勤めだった時、国分寺とか国府推定地の調査で亀岡出張の際に1回か2回行っていると思う。いまうちの修士修了生が職員になっていると聞いている。写真は土曜日の朝。

2025年5月10日(土)大阪公大日本史学会

◆杉本で開催される最後の大会です。

是川先生が亡くなられた

◆1月3日にお亡くなりになったと聞いた。最後にお会いしたのは7、8年前か。久津川の渡り土手の調査を見に来ていただいた。その時のこともブログに書いたかもしれませんが、写真を再掲しておく。このあとも姫路で飲んだことがあったかもしれない。高校の先輩のセッティングで、何年かごとに呑み会があったのだが、それもコロナでなくなり、一度、正月にでもお会いしにいかないと、と思っていたのですが。
◆播磨地域の古墳群の消長について、小野山先生の規制論をふまえて論じておられました。最近の資料の充実、各自治体の若手研究者の活躍で、是川先生の論文が引かれないのは残念です。古い段階では個々の古墳の年代もはっきりせず、修正されていくのは当然ではあるが、大局論としては生き続けているのではないか。

網野銚子山と陵山

◆昨日網野に行くと、1年前にわたしがドローンで撮影した1枚がガイダンス施設に掲げてあった。それと前に作成した佐紀陵山古墳との比較図が出ているのだが、これがいつ作ったものか覚えてないが、まあ現時点としては古いものになる。
◆報告書に書かせてもらう機会があり(2024年3月刊)、両者について厳密に比較した。いま読み返しても、けっこう徹底的にやっている。その結論は、網野については下段を薄くし、その長さを前方部前面をのばすことで陵山と同寸としている、というもの。なので単純な半裁図比較では、そうした関係は示せない。後円部であわせると、前方部が違うやないか、ということになる。なので報告書では半裁比較図を作らなかった。が、やはり世間的には半裁図がわかりやすいわけだ。こうした図を作っておけば、ガイダンス施設などに使ってもらえたのに、と反省。
◆遅ればせながら作ってみたものを挙げておきます。緑:陵山VS黄:網野銚子山。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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