人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
喜多方
◆そこから地道を(若松からの自動車専用道路もできている)、会津坂下
経由で喜多方へ。亀ケ森古墳には立ち寄るべきだった。
◆で、喜多方。こっちは蔵が有名なんだとか。男は40歳までに蔵を立てて一人前なんだそうです。でデンケンになっているのは南町の通り。そこをカーナビに入れて到達したのだが、観光駐車場が整備されていない。うろうろして市役所通りにある観光案内所のある駐車場に入れる。マップをもらうと蔵が残るポイントが落
としてあり、東側の「ふれあい通り」(中心街)というところにたくさんの蔵マークがある。そっちに足をのばす。
◆びっくりするのはラーメン屋にならぶ客の列。おそるべきことです。この日は歩行者天国になっていて、屋台がいっぱい出て、イベントも行われている。そこをぶらぶらしながら、ふと入った店のおばちゃんと話をして、勧められた近くのラーメン屋に入る。太いちじれ麺の中華そばである。「ふれあい通り」は賑わっており、こっちも蔵の多い昭和を感じさせ
る街並みだが、デンケンにはなっていない。まあラーメンですわ。
◆最初に通った南町がデンケンであることを確認し、再びそちらへ。酒蔵があり、その隣の酒屋に入っておばちゃんと話をする。試飲となり、四合瓶を一本購入。こっちも大きな通りに拡幅され、車が走っていて、デンケンとはなっているが、雰囲気があまり感じられない。観光客の多くは「ふれあい通り」界隈のラーメン屋が目的で、町あるきではなさそうだ。
◆で、喜多方。こっちは蔵が有名なんだとか。男は40歳までに蔵を立てて一人前なんだそうです。でデンケンになっているのは南町の通り。そこをカーナビに入れて到達したのだが、観光駐車場が整備されていない。うろうろして市役所通りにある観光案内所のある駐車場に入れる。マップをもらうと蔵が残るポイントが落
◆びっくりするのはラーメン屋にならぶ客の列。おそるべきことです。この日は歩行者天国になっていて、屋台がいっぱい出て、イベントも行われている。そこをぶらぶらしながら、ふと入った店のおばちゃんと話をして、勧められた近くのラーメン屋に入る。太いちじれ麺の中華そばである。「ふれあい通り」は賑わっており、こっちも蔵の多い昭和を感じさせ
◆最初に通った南町がデンケンであることを確認し、再びそちらへ。酒蔵があり、その隣の酒屋に入っておばちゃんと話をする。試飲となり、四合瓶を一本購入。こっちも大きな通りに拡幅され、車が走っていて、デンケンとはなっているが、雰囲気があまり感じられない。観光客の多くは「ふれあい通り」界隈のラーメン屋が目的で、町あるきではなさそうだ。
2025年5月5日 衝撃の大内宿
◆前日の飲み屋で、5日の行き先をいろいろと考える。若松のまち歩き
もいいのだが、大内宿と喜多方のデンケン2か所をまずまわることにする。朝、7:30には宿を出て、大内宿に向かう。
◆びっくりです。8:30前なのだが、既に第1・第2駐車場はいっぱい。人がわんさか押し寄せている。完全に観光地となり、住んでいる人は街道沿いの表は、むろんデンケンなので古い民家を維持しつつ、背後に住居を構
え、ほぼみなさん土産物や飲食の店を経営している。おばちゃんと話をすると、昨日は駐車場に入るのに3時間待ちだったとか。今日はそれよりマシなんだと。ネギで食べる蕎麦が有名なんですね。それを食べる。いくつもやっているようだが、入り口近くの店では、7:30から受け付けて9:30から営業なんだとか。
◆昔は下野へ抜ける街道だったが、明治以降、隣の谷筋が国道となり、さびれることで古い民家が残ることになったのだという。この旧街道は、のちには大内ダムができて、谷筋が長く水没する。大内宿こぶしロードというのが整備されているのだが、行きは隣の国道から入ったのだが、帰りはこの道を通って会津盆地に出る。
◆宿全体は緩やかな傾斜地で、駐車場のある低い入り口から上がっていく。道の両側に水路が通る。そしてつきあたりの丘陵に神社があり、ここが宿全体を見渡せる撮影スポットとなっている。
◆公開されているのは1戸。2階もふくめて見てまわる。
◆いろんなお店をのぞきながら、街道沿いを歩く楽しみ方である。そして宿場の端まで来て、丘陵を少し上がって全景写真を撮って、また来た道を駐車場まで歩いて帰る。
◆びっくりです。8:30前なのだが、既に第1・第2駐車場はいっぱい。人がわんさか押し寄せている。完全に観光地となり、住んでいる人は街道沿いの表は、むろんデンケンなので古い民家を維持しつつ、背後に住居を構
◆昔は下野へ抜ける街道だったが、明治以降、隣の谷筋が国道となり、さびれることで古い民家が残ることになったのだという。この旧街道は、のちには大内ダムができて、谷筋が長く水没する。大内宿こぶしロードというのが整備されているのだが、行きは隣の国道から入ったのだが、帰りはこの道を通って会津盆地に出る。
◆宿全体は緩やかな傾斜地で、駐車場のある低い入り口から上がっていく。道の両側に水路が通る。そしてつきあたりの丘陵に神社があり、ここが宿全体を見渡せる撮影スポットとなっている。
◆公開されているのは1戸。2階もふくめて見てまわる。
◆いろんなお店をのぞきながら、街道沿いを歩く楽しみ方である。そして宿場の端まで来て、丘陵を少し上がって全景写真を撮って、また来た道を駐車場まで歩いて帰る。
2025年5月4日 福島県立博物館
◆14時過ぎには山を下りた。そこで解散。うちの院生、奈良大の参加者
は、帰りにむかうという。こっちは県博に行く。
◆調べると、福島県立博物館は1986年に開館。会津大塚山古墳の測量調査が1988年。できたばっかりに近かったんですね。37年ぶりということか。測量調査期間中に、一度、県博に行ったと記憶する。が鶴ヶ城には行っていない。
◆県博は立派ですね。すべて平屋。考古展示もけっこうな面積がある。古代は関和久遺跡など、盛りだくさん。なんで会津大塚山の資料がないんだろうと思ったら、別室があり、一室が会津大塚山古墳の展示空間でした。
◆会津大塚山は行燈山型とみているが、まあこうした研究はあまり伝わってはいない。1988年の測量で、図面は詳細になったが、史跡指定範囲は前のままの不十分な範囲でず~と推移している。
◆調べると、福島県立博物館は1986年に開館。会津大塚山古墳の測量調査が1988年。できたばっかりに近かったんですね。37年ぶりということか。測量調査期間中に、一度、県博に行ったと記憶する。が鶴ヶ城には行っていない。
◆県博は立派ですね。すべて平屋。考古展示もけっこうな面積がある。古代は関和久遺跡など、盛りだくさん。なんで会津大塚山の資料がないんだろうと思ったら、別室があり、一室が会津大塚山古墳の展示空間でした。
◆会津大塚山は行燈山型とみているが、まあこうした研究はあまり伝わってはいない。1988年の測量で、図面は詳細になったが、史跡指定範囲は前のままの不十分な範囲でず~と推移している。
2025年5月4日 会津
◆3日は八戸泊。翌4日、朝八戸駅から新幹線で11時前?に郡山に着く。レンタカーで会津に向かう。
◆うちの院生が飯盛古墳の測量を月末からやっている。「見に来てください」、「よっしゃ」ということで会津行きとなる。調査そのものは前日までに完了したとのこと。4日はもともとの予定でも最終日。現地を見せてもらうことになっていた。13時に「さざえ堂」という約束だった。が、飯盛山の白虎隊自刃の場は、びっくりするくらいの観光地なのだ。さざえ堂は、少し上がっていかないといけない場所で、少し遅れた。
◆会津若松市の教育委員会の方と、県博の方も、顔合わせで来られている。みなで山に上がり、現地を見せてもらい、測量図をみながら、少々やりとりする。会津若松市としても、国指定の大塚山古墳とともに、飯盛古墳を市指定にして保護策を進めたいとのこと。うちの院生が測量したいという要請は、若松市にとってもありがたいことのようである。
◆うちの院生が飯盛古墳の測量を月末からやっている。「見に来てください」、「よっしゃ」ということで会津行きとなる。調査そのものは前日までに完了したとのこと。4日はもともとの予定でも最終日。現地を見せてもらうことになっていた。13時に「さざえ堂」という約束だった。が、飯盛山の白虎隊自刃の場は、びっくりするくらいの観光地なのだ。さざえ堂は、少し上がっていかないといけない場所で、少し遅れた。
◆会津若松市の教育委員会の方と、県博の方も、顔合わせで来られている。みなで山に上がり、現地を見せてもらい、測量図をみながら、少々やりとりする。会津若松市としても、国指定の大塚山古墳とともに、飯盛古墳を市指定にして保護策を進めたいとのこと。うちの院生が測量したいという要請は、若松市にとってもありがたいことのようである。
十和田湖から八戸
◆秋田県鹿角市の大湯環状列石まで来た。来た道を戻り自動車道で戻るのが早いのだが、大湯まで来たら、地道で八戸に戻ろうと。これが16時半くらいだったかな。
◆山階鳥類研究所の人たちとの飲み会は何時の約束だったかを確認すると、18時とのこと。レンタカーのカーナビでは到着は19時と出ている。が、まあ距離からすると18時に間に合うと判断。というか、地道で間に合わないようなら高速に乗ればいいという条件にはなく、選択した以上は、それで突き進むほかない。
◆結局は、17:50にホテルの駐車場に到着。そのまま飲み屋へ直行。
◆山階鳥類研究所の人たちとの飲み会は何時の約束だったかを確認すると、18時とのこと。レンタカーのカーナビでは到着は19時と出ている。が、まあ距離からすると18時に間に合うと判断。というか、地道で間に合わないようなら高速に乗ればいいという条件にはなく、選択した以上は、それで突き進むほかない。
◆結局は、17:50にホテルの駐車場に到着。そのまま飲み屋へ直行。
浄法寺 漆
◆今回の目的のひとつが浄法寺の漆器。浄法寺の場所を調べると、二戸
駅からは南西方向だった。八戸ICから高速道路は、新幹線が通る二戸沿いの谷筋でなく、東側を南下する。そして二戸の南部で西に曲がる。昨年は、一戸ICで下りて二戸に北上したわけだが、今回は浄法寺ICに向かう。
◆滴生舎という漆器普及および販売を行っている会社がある。ICからそう遠くはない。その施設の一画の建物で、まずお昼を食べる。昔、二戸駅前で営業していた「ナナシ」という店が、GWのあいだ、この滴生舎漆にやて
くる来客用に、中華そばorかけそばの2メニューで営業。
◆そのあと店舗に行く。なかなか魅力的な漆器がならぶ。親切な定員さんが話しかけても来る(大阪人だった)。1万1千円のもの、買うか買うまいか迷ったが、結局、買わず。カミサンは菜箸と本2冊を購入。むこうに体験学習のできる建物があるとのことで、そっちへ。
◆野鍛冶をやってました。S字金具と和釘を、手本を示したうえで、3人の人がカナハシで材料をつかんで炉に入れ、赤く焼けたものを叩き、曲げ、やってました。
◆滴生舎という漆器普及および販売を行っている会社がある。ICからそう遠くはない。その施設の一画の建物で、まずお昼を食べる。昔、二戸駅前で営業していた「ナナシ」という店が、GWのあいだ、この滴生舎漆にやて
◆そのあと店舗に行く。なかなか魅力的な漆器がならぶ。親切な定員さんが話しかけても来る(大阪人だった)。1万1千円のもの、買うか買うまいか迷ったが、結局、買わず。カミサンは菜箸と本2冊を購入。むこうに体験学習のできる建物があるとのことで、そっちへ。
◆野鍛冶をやってました。S字金具と和釘を、手本を示したうえで、3人の人がカナハシで材料をつかんで炉に入れ、赤く焼けたものを叩き、曲げ、やってました。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。